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2025/05/01 15:17 |
またしょうこりもなくアモエコと4期十代
GXがやりたかっただろうことを考えれば考えるほど涙が出る。熱すぎて。
GX大好きだーーーー!!!!
 いやー…最近ずっと気になってることがありましてですね。
 王様を目指したアモンと、それを応援したエコー…。

 アモンとエコーは、ひょっとしてセトとキサラのオマージュなんじゃないか?

 セトキサファンからブーイングがきそうな予想です。
 ブーイングきそうだと思う理由はアモエコの位置が位置だけに、ってのもあるにはあるんですが、むしろそれ以上に、悲恋の方向性がまるっきり違うからです。
 セトキサの悲恋が「運命に引き裂かれた恋」的な悲恋なのに対して、アモエコの悲恋さはむしろ「すれ違った願い」なんですよね。エコーの願いどおり王になって平和な世界を作ろう!とか思ってたのに、アモンをユベルへの敗北へと導いたのは、アモンはエコー本人を幸せにすることはできなかったという事実だった。(※解釈です)
 エコー自身、アモンに「自分を幸せにしてほしい」とは思っていなかったんだと思います。「アモンの幸せが自分の幸せ」だと思っていた。だけど、エコーのいないところにアモンの幸せもないのだとは考えなかった。だからこそ、自分を犠牲にしようとする自分の願いは、永遠に叶うことはないのだということも。

 アモンとエコーは考えれば考えるほど「ユベルに運命を歪められた人たち」で、ユベルや十代に関わらなければ、ひょっとしたら別の未来があったかもしれない人たちで、そう考えれば4期十代の鬱っぷりも頷けようというものです。
 アモンを救えなかった、あるいはアモンを犠牲にして4期の十代があるという事実は、十代が「無条件に宇宙を救うヒーロー」になるための原罪として働きます。皮肉な言い方になりますが、おとぎ話のヒーローじゃあるまいし、この世に理由なしに誰かを助けてくれる人なんていないわけです。(だから遊星は牛尾さんにセキュリティ関連の手助けを頼まれてあっさり「断る」って言ったりする・笑)。だけど、覇王の力を持つ十代は、その宿命を背負ってしまっている。その十代に、「宿命だからみんなを守る」のではなく、「自分が守りたいからみんなを守る」という動機(というよりは決意)を与えるのが、「アモンの犠牲」という消せない罪なわけです。
 十代は、それがたとえ敵だろうと、誰かが傷ついたり犠牲になるのを見るのは嫌なんだと思います。だけど、そんなことを言って迷っていたら、本当に守りたい人さえ失ってしまう。十代が「戦うべきときには戦う」という決意をするためには、どうしても誰かの犠牲が必要だった。
 そして、その消せない罪があるから、誰が何と言おうと「本当に救いたい」人たちがいるから、ダークネスの世界がいくら安らかな世界でも、仲間たち本人がその安らぎを選んだとしても、十代はダークネスの絶望をはっきり「まやかし」と断じて、そこから仲間たちを取り戻します。このとき十代は、仲間たちに向かってはっきり「否」を唱えているわけです。「そんなのは本当の幸せじゃない!思い出せ、本当に願っていた世界を!」
 十代がどうして一人で旅立つのか?「ピンチに現れて助けてくれるヒーロー」としての十代は、大人になった仲間たちには必要ないからです。そしてそれと同時に、自分で自分を救う力を手に入れた仲間たちは、ヒーローの十代には必要ない、とも言えます。それはあくまで、「それぞれの未来へ」向かうための必然の別れなわけです。自分を必要とする人々がいる異世界に残った三沢と同じく、仲間たちは自分を待つ未知なる世界へと一歩を踏み出さなければいけない。十代もまた、まだ見ぬ自分を必要とする人々のもとへ向かおうとします。
 けれどそのままでは、十代の孤独は本当に癒されないままになる。宿命だけでは人は生きていけません。ヒーローとしてじゃない、「ただのデュエリスト」(いや、普通に言えば「ただの人間」なんですけど・笑)としての自分にも、「ちゃんと未来がある」ことを教えたのが遊戯。

 いやー何度も何度も何度も何度も同じ話繰り返してるのは私も分かってるんですけど、ペアデュエルと真の卒業デュエルは意味が違うんだ!っていうのは、どうしてもどうしても強調したいことで…。
 ペアデュエルの時には、ダークネスの影が見え始めたこともあって、十代には「仲間を守らないといけない、守るためには戦わないといけない」という気負いがあります。みんなにその気負い自体はわかってもらったものの、ダークネスの脅威が去ってない以上まだまだ余裕はないわけです。その十代に「楽しいデュエルだった」と言わしめた明日香はさすがです。このデュエルの意味は、「ヒーロー十代の束の間の休息」です。
 でも遊戯のときは、余裕がないのとは違う。気持ちとしては、一仕事終えてほっと一息ついてるくらいです。その状態で卒業記念パーティをさぼるのは、あえて言えば自分もみんなと別れるのが寂しいくせにしんみりさよならしたくないから勝手に旅立つ感じだと私は睨んでいます。今思いました(爆)
 でもそこで、だからこそさよならを持ってこないところがGXの素敵なところなわけですよ!!!!!
 遊戯とのデュエルは、自分と同年代の遊戯、そして「最強のデュエリスト」である闇遊戯(ファラオは現人神というやつなので、もうこの形容詞しかないんでしょう・笑)との「出会い」であり、第一話でハネクリボーをくれた遊戯との「再会」です。
 だからこそ、最後の寄せ書きが生きてくるんです!!!仲間がこっそり荷物に入れてた寄せ書き見て、「ガッチャ!楽しいデュエルだったぜ!」って笑顔で言えるんです!!このセリフがこのタイミングで出てくるのは、「遊戯とのデュエルが楽しかった」という意味と、「最高の学園生活だった」という意味の二つがかかっているからです。つまりこれは、遊戯とのデュエルの意味を考え合わせれば、十代から仲間への、そして視聴者への、
「またいつでも会おうぜ!」という再会の約束なんです!!!!
 「ここでハネクリボーが遊戯の手に渡ってタイムリープになるんじゃないか」な漫画が某サイト様(名前出していいか分からないので伏せますすみません、リンクは貼ってます)で拝めますが、信憑性ありすぎて燃える予想です。そういう設定があったけど描けなかったって言われてもGXの詰め込みっぷりなら私は驚きません。いやもちろんこういうのを妄想って言うんだよ分かってるよ知ってるよ妄想くらいしたっていいじゃないか!!(笑)
 GXが見せてくれるのは、まさに「Precious Time, Glory Days」で「Endless Dream」!!大切な時間と輝く日々、終わりなき夢!熱い、熱すぎる!!

 しかも今、その再会の約束が果たされようとしている!!!
 (劇場版的な意味で)

 もう燃えるしかないんだぜ…!orz

追記:
またやってもーたー。
地味に最終回ラストのエピソード間違えてますねorz
まぁそんなに意味変わらないと思うんで、そっとしておいてください(汗)
これだから日記でしか書けないんだ(遠い目)
思想というのは簡単に記憶を捻じ曲げるので、みなさまも記憶違いにはお気を付け下さい(苦笑)
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2009/10/20 18:07 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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