なんか最近持久走で走りつかれたのにまだゴールできなくてギブアップしたいような気もするけど体を前に傾けたら足は出るから諦められないみたいな感じを味わっている架霜です。きつい(笑)
実際のところゴールなんて無いのがまた。どこでやめるも自由なのに止められない…って、これ中毒以外のなんでもない…(笑)
重箱の隅をつつく作業は、ハマったらやめられない\(^o^)/
それはともかく「純粋な勝利」って、「影の無い光」とか「復讐の宿命から解き放たれた正義」とか、とどのつまりはこれもう一年くらい前にchipsの語りで言ったんだけど「敗北の無い勝利」のことなんだろうと思う今日この頃。
光あるところに必ず闇はある、とか、光は影を作る、なんてのが、アニメ界でよくあるフレーズになって久しい昨今ですが、闇ならぬ「影」は、実は日本語で「光」のことだったりして。「月影」って月の光のことだから。と出身高校の国語教師がことあるごとに言ってました。
だから光と影は光と光で、闇が闇じゃなく影になるような、敗北が勝利を支えてるような、敗北無くして勝利がないような、敗北が勝利の一部になるような?勝利のことなのかなぁと。
綺麗に勝てるなら、それが一番良かった。
でも、エド戦で亮に選べたのは多分、綺麗に負けるか、無様に負けるかの二択だった。
「自分を見失った」っていうのは、「今のままじゃどうやっても勝てない」っていう実力差から亮は逃げたんだと思うのです。
でも問題は、亮がその「今」にいた理由は、別に手を抜いてたんでもなんでもなく、それ以上強くなろうと思ったら汚い方法しか無かった(分からなかった)からで。見苦しいからそれはできないと思ってたんだけど、いざ負けてみたら汚くてもいいから勝ちたいって思ってたみたいな感じなんじゃないかと。
亮がエド戦で負けたって言ってる「自分」は「勝利への欲望」とほぼイコールだと思うんですが、これにはそれ以外にもいろんなものが絡みついてるんですよね。アカデミアのみんなが「カイザー」に寄せる期待とか。正直亮はむしろこっちのほうが気になるタイプだと思うんだ…どこかの佐藤先生みたいにorz 「カイザーの名に懸けて、負けるわけにはいかない!」は99%こっちのせいな気がする…(笑)
で、負け続けてその「カイザーへの期待」はどんどん剥がれていって、スポンサーに契約打ち切られた時点でゼロになるんだけど、最後に残った1%が「勝利への欲望」だったみたいな。
この1%に気づかなかったら、地下でジ・エンド(子どものまま終わる)だったんだろうな…そして佐藤先生ルート…悲しい、悲しすぎる。
潔癖だからこその1%と言うべきか…普通なら50%ぐらいあるだろうに、真面目すぎて1%しか無かったみたいな。
逆に99%欲望でも辛いものがありそうな気がしますが。
多分どっちが100%でもヤバい。というか、周囲からの期待とかそういうのが100%だったら、綺麗に負けてさっさと引退したことだろう。
その1%をつないだのも、リスペクト故なんだと思いますけど。「悔しい」っていうのは、あくまで外に向かってる感情だから。逆を言えば、99%自分の世界で完結してた(周りの人の感情を99%自分の中で処理してた)亮が外とつながってた最後の1%でもある。
そして十代故(笑)卒業デュエルで亮をデュエルなしじゃ生きられない体にした十代の業は深い(笑)
でも最初に言った通り(?)、勝利への欲望はやり場のない復讐心みたいなもんで、多分どう見ても根が潔癖な亮にとっては「なんか違う!」だったんだと思うんですよ。それこそ卒業デュエルの十代みたいな純粋な「(カイザーが凄く強いからこそ)勝ちたい」じゃなかった。なんだろ、「(なんで自分はこんなに弱いんだ)負けたくないのに」みたいな?「勝ちたい」が八つ当たりにしかならないみたいな。
…ほんとに「自分との闘い」が好きな人だな…。亮と十代を見てると、カレイドスターのレイラさんとソラにも見えたりする(笑)天使を育てる悪魔…(笑)
地下は欲望100%だし、そうじゃないと生きていけないんだろうけど、プロリーグはそうじゃない。それこそ十代みたいな純粋なファン(なんか皮肉だな…)もいるんだろうし。
だから83話でメジャーリーグ(多分)で闘ってる亮の目は、65話のマイナーリーグ復帰第一戦(多分)とは明らかに違う。…作画とか言ったらそれまでだけど、ベルトのバックル違うわけで。
そこで亮が見つけたポジション(目指したポジション)って何だったんだろうなーと。
「純粋な勝利」は、単純に考えても、欲望じゃない勝利。復讐じゃない勝利。
でもそれを手に入れようと思ったら、強くならないといけない。正当な資格(?)で勝たないといけない。
…それで裏デッキに手を出したのか?と思えなくもないんですが…。
でも裏デッキって存在自体が外道だっていう。
どう考えても道なき道しか残ってなくて、それでも強さを求める意味があるとしたら…。
どんな汚い手を使っても勝てない力の礎になりたかった(=絶対的に強い相手に負けたかった)、ぐらいしか思いつかないんだ私は…。
エド戦は結局、潜在的な意味であれ、亮は「まだやれる」な状態で負けちゃった。だから「本当にエドのほうが強かったかどうか」は、不確定的というか、もしあれより早くいろんなものかなぐり捨ててたら勝てたのかもしれない、っていう後悔が残った。だから逆にリスペクトしきれなかった。
でも同時に、十代とかエドとか、新しい世代の可能性の息吹が亮にはもう聞こえてて、その可能性を実現するために、その可能性を本物だと証明するために、せめて「最強の敵」になろうとしたのかな?とか。
旧時代の遺産みたいな「サイバー流」のリミッターを外した全力を出せるようになることで、新時代に対しての最後の試練になろうとしたみたいなさ…。
「旧時代の終わり」と「新時代の始まり」を、亮は見に行こうとした(そして見た)のかもしれない、と。
結構前、多分大学に入った頃に読んだ話で、うろ覚えなんですが、「専門家」っていうのはどんな人のことを言うのか?っていうのについて、「その営みに携わる人々が歩んできた歴史の中で、自分がどんな位置にいるのかを知っている人」っていう感じの定義をしているのを見て、なるほどなぁと思ったりしたことあがあるのですが。
亮はそういう意味で、まさにデュエルの専門家なのかもしれないと思います。
より強くより高みへ向かうデュエリスト達の歴史の中で、敗者として記されるのでも構わないから、名前なんか残らなくてもいいから、少しでもその歩みを進めたいと思ったみたいな…。
…いやまぁ、深読みですけど…。
そこまで詳しいこと考えてなさそうな気も凄くしますけど…。
というかでも、そこまでの無我の境地に立てないからもどかしかったんじゃないかと思うんですけど…。
でもこう考えたらヨハンが亮に勝ったのって、「デュエリスト(の歴史)が進化した瞬間」みたいな感じで、それはデュエリスト全員にとっての、「純粋な勝利」って言えるかもしれないなーと思ったりして。
これで負けたらそりゃあもう戦えないって思うだろうなと思う。
亮は自分のことを、あくまで「旧世代」「過去」だと思ってるから。
だけど翔が見せたのは、「終わった時代」は無意味じゃないし、消えてなくなる必要なんかない。過去からずっと続いて現在があって、サイバー流だって新しい時代に新しい形で息づいていくんだ、ってことだったのかなーと。そしてその「歴史」がそのまま亮の成長の比喩にもなってて。
…あくまでサイドストーリーの亮でこれなわけで、GXが扱ってるテーマはどれだけスケールが大きいのかと。そしてこれを十代のファンタジーにドッキングする手腕は何なのかと。亮だけ取り出したら、大河ドラマ風の青春スポ根なんだもん…(笑)
なんかGXのストーリーってパッチワーク的というかフランケンシュタインくさいというか、普通なら一緒にしないような複数のストーリーを全部組み合わせてひとつの作品にしてる感じがして、だったらそれぞれのストーリーをバラバラに成立させられるのかって言ったら絶対できない、っていう構造になってて。亮だけじゃ話が終わらない、十代だけじゃ話が終わらない、翔だけじゃ話が終わらない、万丈目だけじゃ以下同文。もちろん三沢も欠かせない。
いやもう、尊敬するしかないですよ本当…。
でも、エド戦で亮に選べたのは多分、綺麗に負けるか、無様に負けるかの二択だった。
「自分を見失った」っていうのは、「今のままじゃどうやっても勝てない」っていう実力差から亮は逃げたんだと思うのです。
でも問題は、亮がその「今」にいた理由は、別に手を抜いてたんでもなんでもなく、それ以上強くなろうと思ったら汚い方法しか無かった(分からなかった)からで。見苦しいからそれはできないと思ってたんだけど、いざ負けてみたら汚くてもいいから勝ちたいって思ってたみたいな感じなんじゃないかと。
亮がエド戦で負けたって言ってる「自分」は「勝利への欲望」とほぼイコールだと思うんですが、これにはそれ以外にもいろんなものが絡みついてるんですよね。アカデミアのみんなが「カイザー」に寄せる期待とか。正直亮はむしろこっちのほうが気になるタイプだと思うんだ…どこかの佐藤先生みたいにorz 「カイザーの名に懸けて、負けるわけにはいかない!」は99%こっちのせいな気がする…(笑)
で、負け続けてその「カイザーへの期待」はどんどん剥がれていって、スポンサーに契約打ち切られた時点でゼロになるんだけど、最後に残った1%が「勝利への欲望」だったみたいな。
この1%に気づかなかったら、地下でジ・エンド(子どものまま終わる)だったんだろうな…そして佐藤先生ルート…悲しい、悲しすぎる。
潔癖だからこその1%と言うべきか…普通なら50%ぐらいあるだろうに、真面目すぎて1%しか無かったみたいな。
逆に99%欲望でも辛いものがありそうな気がしますが。
多分どっちが100%でもヤバい。というか、周囲からの期待とかそういうのが100%だったら、綺麗に負けてさっさと引退したことだろう。
その1%をつないだのも、リスペクト故なんだと思いますけど。「悔しい」っていうのは、あくまで外に向かってる感情だから。逆を言えば、99%自分の世界で完結してた(周りの人の感情を99%自分の中で処理してた)亮が外とつながってた最後の1%でもある。
そして十代故(笑)卒業デュエルで亮をデュエルなしじゃ生きられない体にした十代の業は深い(笑)
でも最初に言った通り(?)、勝利への欲望はやり場のない復讐心みたいなもんで、多分どう見ても根が潔癖な亮にとっては「なんか違う!」だったんだと思うんですよ。それこそ卒業デュエルの十代みたいな純粋な「(カイザーが凄く強いからこそ)勝ちたい」じゃなかった。なんだろ、「(なんで自分はこんなに弱いんだ)負けたくないのに」みたいな?「勝ちたい」が八つ当たりにしかならないみたいな。
…ほんとに「自分との闘い」が好きな人だな…。亮と十代を見てると、カレイドスターのレイラさんとソラにも見えたりする(笑)天使を育てる悪魔…(笑)
地下は欲望100%だし、そうじゃないと生きていけないんだろうけど、プロリーグはそうじゃない。それこそ十代みたいな純粋なファン(なんか皮肉だな…)もいるんだろうし。
だから83話でメジャーリーグ(多分)で闘ってる亮の目は、65話のマイナーリーグ復帰第一戦(多分)とは明らかに違う。…作画とか言ったらそれまでだけど、ベルトのバックル違うわけで。
そこで亮が見つけたポジション(目指したポジション)って何だったんだろうなーと。
「純粋な勝利」は、単純に考えても、欲望じゃない勝利。復讐じゃない勝利。
でもそれを手に入れようと思ったら、強くならないといけない。正当な資格(?)で勝たないといけない。
…それで裏デッキに手を出したのか?と思えなくもないんですが…。
でも裏デッキって存在自体が外道だっていう。
どう考えても道なき道しか残ってなくて、それでも強さを求める意味があるとしたら…。
どんな汚い手を使っても勝てない力の礎になりたかった(=絶対的に強い相手に負けたかった)、ぐらいしか思いつかないんだ私は…。
エド戦は結局、潜在的な意味であれ、亮は「まだやれる」な状態で負けちゃった。だから「本当にエドのほうが強かったかどうか」は、不確定的というか、もしあれより早くいろんなものかなぐり捨ててたら勝てたのかもしれない、っていう後悔が残った。だから逆にリスペクトしきれなかった。
でも同時に、十代とかエドとか、新しい世代の可能性の息吹が亮にはもう聞こえてて、その可能性を実現するために、その可能性を本物だと証明するために、せめて「最強の敵」になろうとしたのかな?とか。
旧時代の遺産みたいな「サイバー流」のリミッターを外した全力を出せるようになることで、新時代に対しての最後の試練になろうとしたみたいなさ…。
「旧時代の終わり」と「新時代の始まり」を、亮は見に行こうとした(そして見た)のかもしれない、と。
結構前、多分大学に入った頃に読んだ話で、うろ覚えなんですが、「専門家」っていうのはどんな人のことを言うのか?っていうのについて、「その営みに携わる人々が歩んできた歴史の中で、自分がどんな位置にいるのかを知っている人」っていう感じの定義をしているのを見て、なるほどなぁと思ったりしたことあがあるのですが。
亮はそういう意味で、まさにデュエルの専門家なのかもしれないと思います。
より強くより高みへ向かうデュエリスト達の歴史の中で、敗者として記されるのでも構わないから、名前なんか残らなくてもいいから、少しでもその歩みを進めたいと思ったみたいな…。
…いやまぁ、深読みですけど…。
そこまで詳しいこと考えてなさそうな気も凄くしますけど…。
というかでも、そこまでの無我の境地に立てないからもどかしかったんじゃないかと思うんですけど…。
でもこう考えたらヨハンが亮に勝ったのって、「デュエリスト(の歴史)が進化した瞬間」みたいな感じで、それはデュエリスト全員にとっての、「純粋な勝利」って言えるかもしれないなーと思ったりして。
これで負けたらそりゃあもう戦えないって思うだろうなと思う。
亮は自分のことを、あくまで「旧世代」「過去」だと思ってるから。
だけど翔が見せたのは、「終わった時代」は無意味じゃないし、消えてなくなる必要なんかない。過去からずっと続いて現在があって、サイバー流だって新しい時代に新しい形で息づいていくんだ、ってことだったのかなーと。そしてその「歴史」がそのまま亮の成長の比喩にもなってて。
…あくまでサイドストーリーの亮でこれなわけで、GXが扱ってるテーマはどれだけスケールが大きいのかと。そしてこれを十代のファンタジーにドッキングする手腕は何なのかと。亮だけ取り出したら、大河ドラマ風の青春スポ根なんだもん…(笑)
なんかGXのストーリーってパッチワーク的というかフランケンシュタインくさいというか、普通なら一緒にしないような複数のストーリーを全部組み合わせてひとつの作品にしてる感じがして、だったらそれぞれのストーリーをバラバラに成立させられるのかって言ったら絶対できない、っていう構造になってて。亮だけじゃ話が終わらない、十代だけじゃ話が終わらない、翔だけじゃ話が終わらない、万丈目だけじゃ以下同文。もちろん三沢も欠かせない。
いやもう、尊敬するしかないですよ本当…。
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