基本的に、GXの「デュエル」とか「デュエリスト」っていうのは、全部カタカナで表記されるんですが。「デュエルアカデミア」は「決闘学園」にはならない、っていう。
でも第三期、異世界編のサブタイトルだけは
TURN-132 生死を懸けた決闘(デュエル)
TURN-138 覇王降臨・死の決闘者(デュエリスト)たち
ってな感じで、「デュエル」と「デュエリスト」に漢字が当ててあったりする。
カタカナと漢字の違いは、132話のサブタイトルのままなんだと思いますが。
TURN-95の「これだ!この痛みが、デュエルとは勝者と敗者を分かつ、文字通り決闘なのだと教えてくれる!」っていうのは、本来「デュエリスト」の亮が、宇宙を守るヒーローとしての十代がいる「決闘者(命を懸けて闘う人)」の次元にズレ込んでるってことで。そこまで行かないと亮にとっての「デュエル」が分からなかったというか。
「デュエル」っていうのは、亮にとってはどっちかと言えば「勝者と敗者を分かつ決闘」―つまりなんというか、「お前はお前で俺は俺」っていう「個別性を確認する儀式」で、十代にとっては多分、「俺達は同じデュエリスト!」って感じでその象徴が「融合」で、つまり「一体感を得る儀式」、なんだなぁ…。矛盾するようでどっちも本当、みたいな。…だから二人が卒業模範デュエルで使った偶然のおそろいカードは「決闘融合―バトル・フュージョン」(笑)なんだそのエンゲージカード。
でもって「決戦融合―ファイナル・フュージョン」で十代が引き分けに持ち込むわけですが。字面的には亮の意味合いも入ってるんですが、亮が後に「相手と自分を分けるもの」として認識することになる「勝敗」は決まらないわけで。
「負けず嫌いが…!」「行くぜカイザー!」「来い、十代!」
ほんと卒業模範デュエル結魂式以外のなんでもない\(^o^)/下手なBLよりガチ
まぁ、5D'sでライディングデュエルの定義が明らかにセ×○▽を意識したものになっていたくらいなので、最早驚くに値しませんが!(核爆)GXの時点で、デュエルと恋は同じなのさ!って言い切ったお人もいるしね!(笑)
でもむしろ、その後から二人の道は分かれるんだよなぁ…なんか分かるけど。
アニメ遊☆戯☆王の、「絆の強さ」、もっと言えば「精神的なつながりの深さ」っていうのは、腐女子サービス「になる」の自体は分かってやってるだろうけど、別にそれだけじゃなくて、友情の行きつく先はほんとにこうだと思ってるんだと思う(真顔)
恋と友情に違いなどありません!みたいな\(^o^)/
いや、あるんだろうけど、「恋は束縛 友情は自由放任」とかかな。
あ、でもこれだと翔→十代とか吹雪→藤原がほんとに怪しくなってしまう(笑)
絵的に一番疑わしいのは1年時の亮→吹雪なんだけどなぁ。
いつもの戯言ですvvvv
あとサブタイトルの小細工?もう一個。
TURN-156 十代復活!?新たなる旅立ち
はい、3期ラストのサブタイトルです。最後に十代が笑顔で帰ってくる話です。
「?」の意味が若干不明です。
「ひょっとしたら復活するかも?しないかも?」という意味にしては、後ろの「新たなる旅立ち」が復活を前提にしてる感じでなんとも微妙な感じです。帰ってこないわけねーじゃんって視聴者が思うのは目に見えてるし、ネタバレ上等な次回予告は今に始まったことじゃないし(笑)
「復活したように見えますが、実はしてません!」
という意味と考えれば、157話以降につながってくるのですが、どうでしょうか(笑)
ほんと156話と157話の間に十代がアモンのこと知って落ち込んじゃう→「敵」と「デュエル」に関して過敏になる、っていうのが、一番つじつま合うんだよ…orz
不動博士のモーメントのことを負い目に感じてた遊星よりさらに水臭い十代なので、可能性はあると思うんだ。