はるか南の島に、デュエリストを養成する「デュエル・アカデミア」高校はある。
(中略)エリート主義がはびこり、弱き者には冷たい学園だった…
…ある一人の少年が来るまでは…
アニメGXのテレ東公式サイトのストーリー説明から引用。
略しましたが、地味に気になってた学園の規模とか、ここにちゃんと書いてあった(笑)
これ見て思ったんですけど、このエリート主義の象徴って、あくまで「カイザー」なんですよね。もちろん、亮本人は弱いデュエリストを見下すタイプではないんですが、厳しいのは確かだし、エリート主義をどうにかできる素質はない。何故って、本人がエリートだから。
だからこそいじめっこをレアカードで退散させるんでしょう(笑)あれはつまり、「場を収める」目的で「人を操る」ために亮が使えるのが、「力」と「(操りたい対象の)欲望」だったってことなんだろうなと。欲望の力をよくご存じで。…ヘルカイザーの素質あるなぁ…(笑)
しかも、そんな亮が生み出してしまう空気を中和できるだろう吹雪は不在だった。DAのエリート主義を体現するのが初期の万丈目なんですが、その万丈目は劣等生の十代に実力で負けてプライドを粉砕される。このままでは、まだ万丈目は「エリートじゃなくなった」だけで、エリート主義そのものを脱しているわけじゃない。その万丈目がエリート主義(が進化した実力主義)を完全に捨ててるときっていうのは、「吹雪さんの弟子」をやってるときなわけで(笑)
亮が十代を卒業デュエルの相手に選んだのは、十代こそがアカデミアをいい方に「変えて」くれるって信じたせいなのかなとか。十代は、「実力はあるけど劣等生」で、どうしても「トップクラス」でしかない亮にも吹雪にもできないだろうエリート主義の突破・変質を起こす(「無に帰す」とは違う)ことができる。その「劣等生」の十代をリーダーの位置にまで引き上げるために、「自分の後継者として十代を指名する」ことが、亮が卒業生としてアカデミアのためにできることだったのかなと。
で、「十代がアカデミアを変えた」結果の一つが、卒業デュエルが「代表者のデュエル」から「全員参加のデュエル」になったことなんだろうなと。しかも、あくまで十代はある種の「劣等生」=「地位や肩書きを持たない人」じゃないといけないから、十代はオシリス・レッドのままだし卒業デュエルも入賞とかしない(笑)だけど、「オシリス・レッド」はもう劣等生の代名詞じゃなくなって、「十代の色」としてアカデミアに受け入れられてる。
十代は、遊戯から「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」を受け継いで、そこから「十代の遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」を生み出すという使命を負っていたのですが、その使命っていうのは、十代が亮から継いだ「デュエル・アカデミア」の変化を通して描かれていて、それどころか、鮫島師範からサイバー流を受け継いだ亮、亮からリスペクトデュエルを受け継いだ翔もそのテーマを担っているわけで、Generation neXtは伊達じゃないなぁと思いました。(何この感想文・笑)
「結論がデュエルの勝ち負けに回収されない世界」が「十代の描く世界」だから、「遊戯を継ぐ者」としての十代は、最後に遊戯にもその世界を体験してもらわないといけない。だから、「遊戯と十代の結果が分からないデュエル」が、GXの仕上げになる。あれは遊戯が勝ったんじゃないかと私は思ってるんですが、どちらにしろその勝敗が可視化してしまうと「GX」じゃなくなるから、結果は描かれない。
「GX」がやりたかったのは、本当に「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」の「補完」なんだと思います。バトルシティ編で海馬に勝った闇遊戯は、海馬に向かって「今のオレたちに勝敗の差はあっても力の差は無い」って言うんですが、ストーリーの構成として「最後に遊戯がアテムに勝つ」ことが大きな意味を持っている原作・無印だと、どうしてもそこがお題目としてしか打ち出せない。その、原作が持っている「勝ち負けがすべてじゃない」っていう思想を補強したいがためのGXでもあったのかなと、私は思います。(「でもあった」っていうのは、武上さんが自分のヒーロー哲学を語りまくりたかったっていうのもあると思ってるから・笑)何気にバトルシティ編の遊戯VS城之内(俺たちのバトルシティは終わらない!「デュエル!」でバトルシティ完)を前面に出したのがGX…とか?(笑)
(中略)エリート主義がはびこり、弱き者には冷たい学園だった…
…ある一人の少年が来るまでは…
アニメGXのテレ東公式サイトのストーリー説明から引用。
略しましたが、地味に気になってた学園の規模とか、ここにちゃんと書いてあった(笑)
これ見て思ったんですけど、このエリート主義の象徴って、あくまで「カイザー」なんですよね。もちろん、亮本人は弱いデュエリストを見下すタイプではないんですが、厳しいのは確かだし、エリート主義をどうにかできる素質はない。何故って、本人がエリートだから。
だからこそいじめっこをレアカードで退散させるんでしょう(笑)あれはつまり、「場を収める」目的で「人を操る」ために亮が使えるのが、「力」と「(操りたい対象の)欲望」だったってことなんだろうなと。欲望の力をよくご存じで。…ヘルカイザーの素質あるなぁ…(笑)
しかも、そんな亮が生み出してしまう空気を中和できるだろう吹雪は不在だった。DAのエリート主義を体現するのが初期の万丈目なんですが、その万丈目は劣等生の十代に実力で負けてプライドを粉砕される。このままでは、まだ万丈目は「エリートじゃなくなった」だけで、エリート主義そのものを脱しているわけじゃない。その万丈目がエリート主義(が進化した実力主義)を完全に捨ててるときっていうのは、「吹雪さんの弟子」をやってるときなわけで(笑)
亮が十代を卒業デュエルの相手に選んだのは、十代こそがアカデミアをいい方に「変えて」くれるって信じたせいなのかなとか。十代は、「実力はあるけど劣等生」で、どうしても「トップクラス」でしかない亮にも吹雪にもできないだろうエリート主義の突破・変質を起こす(「無に帰す」とは違う)ことができる。その「劣等生」の十代をリーダーの位置にまで引き上げるために、「自分の後継者として十代を指名する」ことが、亮が卒業生としてアカデミアのためにできることだったのかなと。
で、「十代がアカデミアを変えた」結果の一つが、卒業デュエルが「代表者のデュエル」から「全員参加のデュエル」になったことなんだろうなと。しかも、あくまで十代はある種の「劣等生」=「地位や肩書きを持たない人」じゃないといけないから、十代はオシリス・レッドのままだし卒業デュエルも入賞とかしない(笑)だけど、「オシリス・レッド」はもう劣等生の代名詞じゃなくなって、「十代の色」としてアカデミアに受け入れられてる。
十代は、遊戯から「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」を受け継いで、そこから「十代の遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」を生み出すという使命を負っていたのですが、その使命っていうのは、十代が亮から継いだ「デュエル・アカデミア」の変化を通して描かれていて、それどころか、鮫島師範からサイバー流を受け継いだ亮、亮からリスペクトデュエルを受け継いだ翔もそのテーマを担っているわけで、Generation neXtは伊達じゃないなぁと思いました。(何この感想文・笑)
「結論がデュエルの勝ち負けに回収されない世界」が「十代の描く世界」だから、「遊戯を継ぐ者」としての十代は、最後に遊戯にもその世界を体験してもらわないといけない。だから、「遊戯と十代の結果が分からないデュエル」が、GXの仕上げになる。あれは遊戯が勝ったんじゃないかと私は思ってるんですが、どちらにしろその勝敗が可視化してしまうと「GX」じゃなくなるから、結果は描かれない。
「GX」がやりたかったのは、本当に「遊☆戯☆王デュエルモンスターズ」の「補完」なんだと思います。バトルシティ編で海馬に勝った闇遊戯は、海馬に向かって「今のオレたちに勝敗の差はあっても力の差は無い」って言うんですが、ストーリーの構成として「最後に遊戯がアテムに勝つ」ことが大きな意味を持っている原作・無印だと、どうしてもそこがお題目としてしか打ち出せない。その、原作が持っている「勝ち負けがすべてじゃない」っていう思想を補強したいがためのGXでもあったのかなと、私は思います。(「でもあった」っていうのは、武上さんが自分のヒーロー哲学を語りまくりたかったっていうのもあると思ってるから・笑)何気にバトルシティ編の遊戯VS城之内(俺たちのバトルシティは終わらない!「デュエル!」でバトルシティ完)を前面に出したのがGX…とか?(笑)
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