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2026/10/10 16:55 |
だから ど ん だ け
考えても考えても考えても考えてもまだ分かることがざくざく出てくるってのはどういうことよ…(遠い目)
TURN-148で「勝利への欲望」を超えた後にやたら除外と帰還が多いのは亮の中で両立できないはずの「カイザー」と「ヘルカイザー」がせめぎ合って入れ替わりまくってるからだとかその回転を限界まで推し進めた一点でパワー・ボンドでそれ融合させてるとか。

ここ三日ほど頭の中に「サイバー・エンド・ドラゴン…召喚!」の瞬間を中心に、TURN-148がひたすら流れてます\(^o^)/オレに介錯は要らん…の直前とか。音楽で言うとカミューラのテーマ(仮)がひたすら流れてる\(^o^)/
現在の携帯待ち受けが「オレに介錯は要らん…」のキャプ画像だなんて口が裂けても言えない。携帯開ける度に闘志が燃え上がります。え、痛い?痛いぐらいじゃないとこんなことやってられるかよ!普通の待ち受けのときもありますが周期的にそういう系にしたくなります\(^o^)/
TURN-148であの顔が一番好きなのは、あの顔が一番嬉しそうだからだと気づいた。
つーか嬉しいんだと思うんですよ。ヘルカイザー貫いた一番の目的が達成できた時だから。亮のテンションが一番高い瞬間(笑)思わず「おっしゃあ!」ってセリフ書きこみたくなります。

GXが…神アニメすぎる…。神話的な意味で…。
そして私の中で2・3期の亮のテーマソングが完全に「地球ぎ」になった\(^o^)/

諦める理由(わけ)を話すよりも
できることを数える方がいいよね
つまずくことがあって
振り返りそうになって
それでも それでも もう決めたんだ

あなたのために できることなんて
たいしたことないかもしれない
でもそれでも 触れていたいよ
かなしみより そのぬくもりを
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2009/06/17 09:24 | Comments(0) | 遊戯王DMGX
再編集というより
構成上もう一から書き起こしてるんですが…
スタッフは亮(ヘルカイザー)のデュエルにどれだけ全力注いでるの?
まず間違いないものからこじつけに近いものまで、亮のデュエルで解釈できそうなものは全部解釈してるんですが、カード名意味ありすぎ\(^o^)/
例:83話でサイバー・エンドを未来融合で召喚→サイバー・エンドの元に帰る気がある?
例:95話の決め手の融合解除→「カイザー」を融合解除して、「亮」と「パーフェクトデュエル」にしたんじゃないかと…で、この違いを読み切れなかったから翔は負けた。
例:148話のサイバー・ヴァリー(仮想現実の谷)→「エンド」と同じで、勝利への欲望を超えて「カイザー」と「ヘルカイザー」の境界線にたどり着いたってこと?
例:148話のパワー・ボンド→多分、ここでは亮と十代の絆。このカードで亮は十代の力を借りて「カイザー」と「ヘルカイザー」を超☆融☆合してるんだと思う…そして奇跡のルール無視\(^o^)/亮と十代の絆は次元を超えても変わらないぜ!ってことですねわかります(…)
神がかりすぎ。どんだけ。
148話に意味がないカードなくね?
手札全消費の時点で思ってたけど…奇跡のデュエル展開だぞ…。

昨日「K」→「R」のきっかけ話をchipsに書きましたが、あれ書きながら「ヘルカイザー」が亮から十代への精一杯の「ありがとう」と「すまない」なんだなぁと思って、なんかまたもう…切ない。
完全に亮がすげーいい人にしか見えなくなりました。ていうかすげーいい人。
「オレはそんな善人じゃない」
必死(文字通り)で償おうとしてる罪人だったんですね…orz
誰も亮を責めてなんかないんだけど、誰より自分で自分が赦せなかったっていう…(涙)
十代が亮を分かってくれて良かったよぉぉぉ(涙)
なんというか…やっぱり外から見てるだけじゃ分からない絆ってあるのね…みたいな気分になります。
亮と十代の間には、それこそ「デッキを交えた者同士だけが感じられる絆のようなもの」が、あったんだなぁと…。卒業デュエルすげぇ…。

GXは冗談みたいな本気の話すぎて困る。いや困らない。大好き。
あえて言うなら自分がとても狂った人だと思われるのが困る(笑)
否定しないけど(笑)GX狂(笑)せめてGX教でお願いします。
GXが悪いのよGXが!
GXは神。

2009/06/16 10:41 | Comments(0) | 遊戯王DMGX
もう間違いない
再編集したときに修正しますが。

△純粋なる勝利=正しい力を使う者、勝つべき者の勝利

ヘルカイザー
=カイザーの敗北

ヘルカイザーの敗北
=ヘルカイザーの否定
=カイザーの敗北の否定
=カイザーの純粋な勝利

〇純粋なる勝利=「ヘルカイザーの敗北」という形の「カイザーの純粋な勝利」

真の肯定とは二重否定という否定であるというやつですね。

NASどんだけ偉大なんだよ。

あと「攻撃力16000のサイバー・エンド」は、前にもいったように、オフィシャルカードゲームでとかいう話ではなくて、GX的にも本来不可能なんだと思われ。
「アンタ以上に輝いて、奇跡を起こしてみせる」ってことは、亮もまた輝いた結果奇跡を起こしたはずなわけですよ。
そしてあのデュエルにあるものが「カイザーの純粋な勝利」ってことは、どこかに「カイザー」が現れてるはずで。
それが、「除外で途切れるはずのパワー・ボンドの効果が持続した結果現れる、攻撃力16000のサイバー・エンド・ドラゴン」。
なんでそんなことが可能になったかって、勝利への欲望を超えた時点で、亮が居る場所は「サイバー・エンド」、ヘルカイザーとカイザーの境界線上、どちらでもないかつどちらでもある場所だったりして。亮が使った「サイバネティック・ゾーン」は、サイバー・エンドの守護領域かと思ってたんだけど、そうじゃなくて、文字通りの「人工頭脳上の領域」=「仮想現実(サイバー)から解き放たれた異世界」で、「仮想現実の法則にとらわれない」=「除外されても除外されてない」みたいになるんだと思う。あれは「すべてが具現化する異世界」だから、このものすごい抽象的な話も具現化する。
亮はカイザーもヘルカイザーも超えて、
「ルールを無視する」という奇跡を起こした(笑)
そりゃあもう「なんだと…!?」「すげぇ…」って言うしかないよなぁ(笑)
そのあとの十代の超融合がプレイヤーに効果が及ぶのもしょうがない。
ルール無視以上の奇跡起こさないといけないんだから(笑)

さらに言えば、「カイザー」が十代と一緒に作られたって言ったけど、十代は何をしているかと云うと、「カイザーの存在を確認する観測者」だったりする。そしてまだ、この観測者なしに「カイザー」が存在することが出来ないから、卒業デュエルでのサイバー・エンドの攻撃力は、十代のシャイニング・フレア・ウイングマンの攻撃力も合わせた…えーと、いくつだっけ?16000+16000+16000+?×2=57800…4900…36900か(←どんな思い出し方だよ)で、最後は二人で「ファイナル・フュージョン」。
ここから十代の力を全部排除して亮の力だけを純粋化した数値も「16000」。

NASどんだけ偉大なんだよ。
この場合デュエル構成の彦久保さんがすごいんだろうか。

つーか、
NASはいつから展開考えてたの?
亮が「純粋なる勝利を得るために」って言った時点でヘルカイザーが負けることは確定してるわけで。というか「パーフェクトという限界」って言った時点で超えるフラグ(カイザーとヘルカイザーを超えてサイバーからサイバネティック・ゾーンに解き放たれたことで亮は限界を超えて無限の可能性に踏み出した)だし、そのためにあの一連の話があるってことは、もう1期終わった時点で亮に関しては4期の翔のエピソードまで予定されてても不思議じゃない。
GXが偉大すぎる…。

…あれ、てことは、次に亮が使うのは「サイバネティック」シリーズ?(笑)

ウィキペディアによると原作遊戯王のテーマは「友情」「愛」「死」「自立」らしいですが、
亮はこれ全部一番純粋な形で描いた結果だと思うよ。
「カイザー」は十代との友情の賜物だし、その「カイザー」に亀裂が入ったことで鮫島校長(師範/先輩)・吹雪(親友/同輩)・翔(弟/後輩)との愛ある関係(笑)の中で「ヘルカイザー」という過程を通って、十代と自分の境目を見極めて(爆)、死という形で「カイザー」から抜け出ることで亮は個人としてのアイデンティティを確立したわけで。(そのアイデンティティも十代の友情に承認される/観測者である十代にとっては「カイザーが亮」なので「カイザー」って呼ぶ。翔に向かっては「翔がカイザー」。主語と述語が違うのよ…)
何この偉大さ。
吹雪の担当ポジションが親友より恋人のほうがしっくりくる件

2009/06/15 09:52 | Comments(0) | 遊戯王DMGX
答えは全部、終着点に書いてある(追記あり)
亮…お前…お前って奴は…。

…亮が強さだけを追い求めた一番の理由が…ようやく分かりました…。

昨日の記事で「亮はエドに十代をダブらせたから負けた」って書いたんですけど。
これで正しいと思います。
いつだったか日記で書いたんですけど、エドのE・ヒーローを見て笑ったのは、「勝てる」と思ったんじゃなくて、十代とのデュエルを思い出してしまったんだと思います…。

敗北で傷ついた「カイザー」のプライド。
どうして、そのプライドを捨てられなかったのか。
それは、あのとき亮が勝敗をかけていた「カイザー」が、亮だけのものじゃなかったから。
そこまではフローチャートにも書いたんですけど。
もう一歩踏み込めるところがあったんです。
亮が「カイザー」のプライドを捨てられなかったのは、「カイザー」がアカデミアの絆によって作られ、亮が卒業デュエルで十代と一緒に完成させたものだったからです。
その「二人で完成させたプライド」に、プロとしての、個人としての勝敗をかけてしまった。
十代の力の及ばないところで、十代のプライドさえも身勝手に傷つけてしまった。
だからこそ、「カイザー」の敗北は、亮の中で致命的な傷になってしまった。

敗北に目がくらんでいる間は、そのことには気づきません。
だから気づいたのは、ヘルカイザーとしてプロリーグに復帰したあとだと思います。
誰より十代に顔向けできないことをしたんだ、ということに、亮は気づいてしまった。
亮の「相手を無視した戦術」は、何よりこの心理から来ています。「相手に顔向けできない」という引け目があるから、リスペクトを取り戻せなかったし、相手を無視してしか勝てなかった。
そして、そのことに気づいたとき、亮はこう思ったんです。
「あの衒いのない感嘆の瞳を、真正面から見返せる(re・spect/リスペクトできる)自分にもう一度なりたい」
リスペクトデュエルで敗北した以上、残る「カイザー」の要素は力だけです。
だから亮は、あのパーフェクトデュエルの限界、CYBER END―仮想現実の果て、理論上の限界、つまり、自分で決めた超えてはならない一線を超えても、「力」を求めたんです。

「カイザー」のプライドは、「アカデミア」における関係性の中で力を発揮するものです。
だからサイバー流道場で鮫島師範に師範と弟子として相対しているときは、亮は本当はリスペクトデュエルをやろうと思えばできます。83話で、亮は師範に対する敬意を忘れてはいません。それでも、もう力を求めると決めているから、リスペクトデュエルを選ぶことはできない。
そして89話の吹雪は、亮を「亮」として見る親友だから、ダークネスもアカデミアとは関係がないから、リスペクトの精神を忘れないでいられる。けれど「カイザー」の誇りを取り戻したい亮にとっては、「ヘルカイザー」を認める勝利は意味がない。だから、メダルを踏みにじるんです。
けれど、95話の翔は違います。翔は十代の次に(逆ではない)、「カイザー」に憧れています。そしてだからこそ、「ヘルカイザー」を真っ向から否定してきます。亮はその否定を、無視するというよりは、全力で跳ね返します。それは「リスペクトデュエルの否定」です。忘れてはいけないのは、亮にとっても、「カイザー」は大切なんだということです。
けれど翔の目には、ヘルカイザーは「カイザーの否定」として映ります。このデュエルは、翔がそのズレを理解できなかったから負けた。亮が十代とエドのズレを見抜けなかったから負けたように。
しかしのこのデュエルの意味は、だからこそ翔の敗北にあります。これはリスペクトデュエルによって、亮が否定していたものが「カイザー」ではなく「リスペクトデュエル」であるということを見抜いて、「リスペクトデュエルを否定するヘルカイザー」の精神を、「リスペクトデュエルをしている翔」が受け止めきれるか、自己否定を受け入れることができるか、というデュエルだったんです。
「十代を否定するエド」の精神を、「十代に憧れている亮」は受け止めきれなかった。それは、そもそもその構造に気づいていないからでもありますが、それでも決定的にどうにもならないのは、十代とエドが完全に別人だからです。十代を否定する権利は、エドには無いんです。他人の人格を否定する権利は誰にもありません。それなのに亮は、敗北によってその否定を許してしまった。
けれど、カイザーとヘルカイザーはどちらも亮です。だからこそ翔は、リスペクトデュエルの否定を受け止めることができた。否定を受け入れるという、亮以上のリスペクトデュエルを、翔は達成することができた。翔はそのリスペクトデュエルによって、亮の中の矛盾を受け入れたんです。
そして同時に、それは亮の中の「ヘルカイザー」が、「カイザー」と同じレベルにまで到達したことを意味します。

だから亮は、その力で闘うべき最強の敵を求めます。
その敵と、もう一度卒業デュエルと同等の、最高のデュエルをするために。
その中で、出会った頃の十代と同じ瞳をもつヨハンに出会います。
147話「ヨハンの顔を持ち、ヨハンの力を持っているなら、オレと闘う義務がある」というセリフはここから来ています。なんで顔が要るんだろう…とか正直思ってたんですが、これは本当に必要なんです。十代と同じ瞳と力を持つヨハンを真正面から見返すことができなければ、敗北の傷を超えたことにならないから。
そして敗北の傷、勝利への欲望を超え、ヘルカイザーの限界さえも超えて輝いたとき、十代の瞳には卒業デュエルと同じ輝きが戻ります。その輝きが亮の敗北のすべてを赦し、亮はサイバネティック・ゾーン―サイバー・エンドの守護する領域へと還りつきます。

148話ラスト、亮の自嘲したヘル語がとても分かりにくいのでカイザー語に翻訳したいと思います。

「これが、強さだけを求めて闘ってきた者の末路だ…」
→力にとりつかれてしまえば、それは最後に自分自身をも滅ぼすだろう
「瞬間の喜び、地獄まで見て、オレがたどりついた結論だった」
(たどりついた結論=力あるカードにはリスクが伴う)
→ヘルカイザーを貫き通して分かったのは、かつての自分が正しかったということだった
「笑うなら笑え」
→オレに後悔は無い。お前は、今のオレを見てどう思う?

十代にはちゃんと、この「カイザーの声」が聞こえていたんだと思います。
148話の亮の最後のセリフ、「お前はもう、子どもじゃない」の意味は、「お前はもう、何が正しくて何が間違っているのか分かっている。だから、お前が正しいと思うことのためなら、力を使うことを恐れなくていい」ということです。

いつでもその笑顔
救われてきた僕なんだ
今だけ 泣いていいよ
ずっとここにいるから
ただ 僕はここにいるから
(ティアドロップ/BOWL)

誰から誰へでも使える普遍的なテーマソングだけど、
何より、誰より、亮から十代へのメッセージだったんだと心底思った…。
あのデュエルの記憶が、デュエリストとしての亮を支え続けたんだって…。
だから自分の輝きで、ヒーローとしての十代を支え返してあげたかったんだって…。


もうね…これはっきり分かったとき、ぼろ泣きとか(号泣)とか言うレベルじゃなかったよリアルに号泣だったよ泣き伏したよ…。
とりあえず本当にこればっかりは、亮に関してだけは、
頼むからKONAMIは亮に謝ってくれ
と思いました…。
亮は絶対に、勝利を求めた自分を卑下したりしない。それは十代を侮辱することになるから。
勝手な解釈をオフィシャルの名で売り出しやがって!!!(涙)
私もサイトでさんざんやってるけど趣味なのよ二次なのよ非公式なのよ!!
KONAMIの馬鹿!KONAMIの馬鹿!KONAMIの馬鹿!!
タッグフォースは楽しいけど嫌いだー(涙)

追記:この期に及んで切なさパワーアップ

すみません、私が楽観的すぎるせいなんですが、まだ拾い損ねていた要素がありました。
本筋は変わりません。亮がヘルカイザーになったのは、「十代がいたから」です。

83話「純粋なる勝利を得るために」
89話「勝利を得るために」
多分この二つのセリフは、少しだけニュアンスが違います。
「純粋なる勝利」は、正しい力を使う者、勝つべき者に与えられる正当な勝利。
単なる「勝利」は、それも含めたすべての勝利。
亮が何故、迷いなく勝利を目指すことができたのか。
それは、「ヘルカイザー」の勝利を求める根拠が、生きる意志というもう一つの正しさにあったから。
そして「カイザー」の正しさを証明するためにも、亮は賭けに出たんです。
「ヘルカイザー」が間違っているなら、必ず最後には敗北が、否定が待っている。
生きる意志を根拠に、勝利を求めて、強さだけを求めて闘い抜いた果てに待っているものが、「カイザー」のもう一人の担い手である十代への敗北、十代からの裁きなら、亮は多分本望だった。むしろ、最後に待つものがどうか否定であってくれと願って、「ヘルカイザー」を貫き通した。
けれど、146話で、皮肉にも亮が想定したものとは真逆の構図に陥ってしまった。
亮の本音はこうでしょう。
「こんな結末のために闘ってきたわけじゃない」
亮も、十代も、お互いに相手の誠実さを疑ったことなどありません。けれど十代は、亮の目の前でその信頼を裏切ってしまった。罪の重さに向き合うことができなかった。
けれど運命は、十代が亮を裁くことも、亮が十代を裁くことも認めませんでした。
亮の命がデュエルを中断させ、亮には、十代の分身であり、守るべき者であり、倒すべき敵であるユベルに取りつかれたヨハンという相手が与えられました。
そして「ヘルカイザー」の力の限界を超えて、亮は自らの命の輝きで十代の瞳の輝きを取り戻し、パワー・ボンドのライフダメージで「ヘルカイザー」は敗北しました。
レインボー・ダークの攻撃力が9000に強化されたとき、敗北の決定を知ったとき、亮は笑いました。「ヘルカイザー」の力の限界を超えてさえ敵わない、「ヨハン」の力。亮はむしろ「カイザー」としてこう思ったのかもしれません。「勝った」、と。
亮に待っていたのは、生きる意志と「カイザー」、両方の正しさを証明するデュエルです。
「笑うなら笑え」―「ヘルカイザーの否定」を覚悟していた亮に、返ってきたのはカイザーの、というよりは、「亮の肯定」だけです。
それは何故か。それは、亮も、十代も、お互いに疑わなかったように、二人が自分のできる限りで、あくまで誠実に生きてきたからです。
「何も見えない子ども故の過ち」は、決して「取り返しのつかない罪」ではない。
それが、遊戯王デュエルモンスターズGXが主張するテーマのひとつです。
どんなに険しくても、贖罪の道は必ずある。それを超えて大人になったとき、奇跡は起きる。失ったはずのものすべてが返ってくる。

…これで…要素は…全部だと思うんですけど…!
GXは意味がありすぎて意味が分からない(><)
GXは、とてつもなく深い真実と真理と絆の物語です…。

個人的な参考文献ならぬ主な参考著名人:
西谷啓治(宗教哲学者/主に講話とエッセイしか読んでない)、河合隼雄(臨床心理学者/超おすすめ!)、林原めぐみ(声優・作詞家/大好き)


2009/06/13 09:54 | Comments(0) | 遊戯王DMGX
亮vsエドと翔vs亮(ヘルカイザー)
エドの「アカデミア生」の肩書を見た亮。「プロ」として立っていたエド。
そのズレを見抜かれてヒーローデッキで「十代のふり」までされたら、もうどうしようもないな…。
亮はエドの「アカデミア生」とか「ヒーローデッキ」とかの属性から主に十代の像をダブらせてる(爆)から、違和感の理由に気付けないまま、最後には「カイザーの名にかけて」っていうことになる。…あのセリフ、何より十代への思い入れの賜物なんだよね…(笑)
亮が自分を見失ったのは、「相手の心となって自分を見る」リスペクトデュエルで、相手の居場所を把握できなかったから。だから何もないところ(十代ならいるだろうポジション)に心を置いてしまって、自分が見えなくなった。というよりは、「十代の振りをしたエド」って十代でもエドでもない人=誰でもない人をリスペクトしたから自分を見失ったような気もするけど…うーん?
ヘルカイザー亮はあくまで翔のリスペクトに対して翔の視線を受け止めて拒否を主張し続けてるからリスペクトの余地があるんだけど、エドは視線そのものを受け流してる(運命に「自分」を委ねてる?)から、のれんに腕押しな感じで手ごたえが返ってこない、つまり、「リスペクトすることができない」の内実は、「視線が返ってこない」ってこと。だから自分を見失う。
この場合、エドの受け流しを見切ってエドがミスリードしてる視線を拒否することができないと駄目なんだよね、多分。まぁ、最後にミスリードの種明かしされるんだけど。
何にせよ、亮はアカデミアと十代への思い入れが強すぎて負けたと(…)
ほんとこの人十代好きすぎる\(^o^)/十代=アカデミアの象徴だから仕方ない。
この場合プロ意識が足りないと見るべきかアカデミアが好きすぎると見るべきか。
平均レベルから言ったら後者なんだと思うんですけどねー。ただのプロ相手だったら問題なくプロやってたんだろうし。この判断が亮贔屓なせいなのかどうか、もはやよく分からない…。
「リスペクトデュエル」が相手依存のデュエルスタイルだから、自分で考えるデュエルスタイルに切り替えないといけなかったんですよね。で、そのためには、一度他者からの視線を全部拒否しないといけなかったっていう。
完全に反抗期の構造(笑)
でも、これは、成長のためには、アイデンティティ確立のためには不可避な境界期なんですよね…。
まぁとりあえず、
GXほど考察が難しいアニメないと思います。

2009/06/12 21:42 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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