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2025/05/02 20:43 |
テーマソングから見るGXの物語分節
完全に文学部あたりのレポートのタイトルだな(爆)
無断転載禁止です(笑)
なんちゃってレポート調なので、書き方は「である、だ」です。
なんか予想した長さの軽く5倍ぐらいになった(…)
え…これA4だったら何枚分書いちゃったの私…?

■OP1 快晴・上昇・ハレルーヤ/JINDOU
明日への地図を広げて 一緒に行こうぜGo along along

■ED1 限界バトル/JAM Project
限界バトルかっとばして 燃えつきりゃ最高じゃない
世界中が この時代が さぁ お前とRide on!


第一期前半、TURN-1からTURN-33まで使われた初代OPとED。

どちらの曲も、未来への期待とそれが故の「向こう見ずさ」の見受けられる、非常に明るく前向きな歌詞と、ラップ調のOP、アニメソングと言えばこれ!というJAMprojectらしいED、スピード感あふれるメロディーラインが特徴であり、おそらく最初から見ていた視聴者にとって、「GXらしさ」はこの2曲で代表されると言っても過言ではないだろう。
そしてそれは、そのまま「十代らしさ」を象徴する歌でもある。これは、「十代から仲間への、ひいては視聴者への最初の挨拶」と呼べる歌のように思う。

この2曲の不思議さは、第一期、1年目を通して使われるのではなく、TURN-33「輝け!シャイニング・フレア・ウィングマン」という、セブンスターズ編のやや中途半端とも思われるタイミングまでしか使われなかったことにある。

この謎について語るには、次の2曲を紹介することが必要になるだろう。

■OP2 99%(セブンスターズ版)/BOWL
鍵をかけた部屋 独りぼっちで君が泣いてた
うつむくその目に昨日ばかり映しても進めやしないさ

■ED2 Wake up your heart(セブンスターズ版)/KENN with The NaB's
まだ見えない 自分の居場所を探して 歩き続ける


ここでは「テーマソング」をある程度映像でも区切ることにする。この2曲は第一期後半、TURN-34からTURN-52まで使われたOP・EDである。

「99%」は、曲調こそポップでメロディアスなものだが、その歌詞には前2曲には見られなかった「寂しさ」が打ち出されている。しかも、OP映像のうつむいた十代の表情を見れば一目瞭然な通り、これは十代への歌なのである。
対して「Wake up your heart」は、十代の声優であるKENN自ら歌う、実質的な十代のキャラクターソングである。その曲調・全体的な方向性は前向きながらも、やはり何かしらの寂しさや不安を思わせる部分がある。

TURN-34とはどんな話だったか?
「湯けむり旅情! 青眼の白龍(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)」
タイトルだけで誰もが内容を思い出せそうな気がしてしまうが、多分この話でまず思い出されるのは「自重しない海馬」というイメージだろう。だが、この話にとってこのあからさまなファンサービスは半分はおそらく「付加価値」であり、本質は別のところにあるように思う。
この話は、カミューラとのデュエルによって、クロノス・亮が人形と化され、「仲間を失う」という疑似体験をしたことによって、十代が「デュエルって楽しいものじゃなかったのか…?」と落ち込んでしまっていたところ、ハネクリボーの導きでレッド寮の仲間たちと共に精霊の世界に迷い込んでしまい、そこで「カイバーマン」と全力のデュエルをすることによって、十代が「デュエルを楽しむ気持ち」を取り戻す、という話である。

こう見ると、「99%」は「精霊から十代への応援歌」と言える可能性がある。

テーマソングの切り替えに話を戻そう。
まず、もしも「セブンスターズ編」という区切りで考えるなら、テーマソングを差し替えるタイミングは、セブンスターの先鋒となるダークネスの伏線が入るTURN-27「課外授業は闇のデュエル!?(前編)」が、最も妥当であるように感じる。話数としても、TURN-26で一年目のちょうど半分である。
しかも、OP2の映像にはダークネス・カミューラという、「TURN-33までの間に倒されてしまった敵」も描かれており、テーマソングの交代が「間に合わなかった差し替え」であるかのような印象を受ける。このシーンは、視聴者にとって最初から「回想」になってしまっているからだ。

しかし、本当にこれは「間に合わなかった」差し替えなのだろうか。

TURN-33までには何があっただろうか?
明日香・万丈目・タイタン(敵)・翔・亮・精霊・アカデミア一般生徒・レイ・三沢・吹雪・カミューラ(願い・宿命を背負う敵)という、2・3期の追加キャラを除くメインキャラと、「二種類の敵」とのデュエルを、十代は完了している。そして、第一期ラストデュエルの締めにも登場する彼の「最初の切り札」である「シャイニング・フレア・ウィングマン」が登場して終わっている。

十代から仲間への歌となっている初期テーマソング、十代の基本的な性格と「これから関わる存在」がほぼ一通り表現されたとも言える本編内容。これを踏まえると、TURN-1からTURN-33というのは、長い長い「十代の自己紹介」と呼べる期間なのではないだろうか。

さらに、「快晴・上昇・ハレルーヤ」の映像の最初に登場するのは、十代・翔・三沢・隼人の四人である。
アカデミアを一年目で去る隼人、三年目で去る三沢が冒頭に描かれているのは、GXの「計画倒れ」を示すものと受け取られるように思う。
しかし、私はそうではないのではないか、という気がしている。
つまり、「いずれいなくなるキャラクターだからこそ、目立たせるには今しかない」という、製作サイドの思惑だったのではないか、と。
三沢は96話で「輝いていたのはいつの日か」と語る。この初期オープニングの時期は、十代の自己紹介と呼べると同時に、三沢の「栄光の日々」にも当たる。テーマソング交代のほぼ直後のタニヤとの出会いが、2年後、「三沢の居場所」を決定づけている。あくまですべて予定されていたようにも見えるのは、私だけだろうか。


「自己紹介」のラストデュエルで、奇しくも十代は「自分らしさ」を脅かされる事態に出会っている。
その十代の「自分らしさ」を、精霊は守った。
精霊に守られながら、十代は「まだ見えない自分の居場所を探して歩き続け」ている。
意識的にはどうあれ、テーマソングの言葉を信じるなら、十代もまた、意外にも「居場所はまだない」と感じている。

TURN-33までは、「十代の自己紹介」だったとしよう。それならば、「第一期」は、何なのだろうか。残る内容はセブンスターズとの決着、十代に見出される「融合」という才能、ちょっとした恋話、精霊の力をめぐるボス戦、進路と卒業。
おそらく「第一期」は、「GXという作品全体の自己紹介」―つまり、主題の提示、プロローグである。

■OP2.5 99%(第二期版)/BOWL
99パーセントわからないから 明日を確かめに行こう

■ED2.5 Wake up your heart(第二期版)/KENN with The NaB's
夢みる世界 目指し 力の限り 駆けてゆこう


歌詞の引用箇所を変えたが、別に本編で使用箇所は変わっていない、念のため。
TURN-53からTURN-104の第二期の間、歌はそのままで映像だけ差し替えたOP・EDとなっている。

OP映像はエロゲ風と名高い(笑)「名前テロップつき登場人物紹介」入りのものであり、毎回その日の本編映像がダイジェスト的に挟まれる仕様になっている。
ここで名前を紹介されているのは、十代・万丈目・翔・明日香・三沢・ナポレオン教頭・剣山・エド・クロノス教諭・ファラオである。クロノス教諭については、途中の地位変更のたびに若干映像も変わっている。

OPの最初には、無数のカードを並べてモザイク的に表現されたハネクリボー。なんとなく象徴的である。

対してOP最後にはファラオ・吹雪・万丈目・明日香・翔・十代・剣山・三沢の集合図が来る。
この図で特に気になる点は、
・吹雪と剣山だけしゃがんでいる。
・主人公が入りそうな真ん中ポジションを翔が陣取っている。
の二つである。

名前付き紹介で取り上げられていないにも関わらず最後の集合のときにはきちんと描かれている吹雪は、あくまで座っている。そして2期内容を思い返せば、吹雪はデュエルこそ明日香・亮と二回あるが、ストーリー上はほぼ完全に蚊帳の外である。これはひょっとして、「吹雪は今期お休み」と宣言している図だったりしないだろうか?
では、剣山はどうか。ストーリー上は、むしろ2期こそ剣山の見せ場である。吹雪といっしょくたにしてしまうとどうも都合が悪い。
ただ、逆の見方はできる。GXがメインで描きたいキャラクターは、あくまで立っている5人、万丈目・明日香・翔・十代・三沢という「第一期の一年生」なのだ、と。

では、翔が真ん中に来るのは何故か。
2期の翔は、亮を慕うブルー女子・胡蝶蘭とのデュエルに勝ってイエローに昇格、剣山と十代の弟分の座をめぐって勝利、その剣山とタッグを組んで敗北、ジェネックスを勝ち進み、ヘルカイザーとなった亮と闘うも敗北、しかしそのデュエルで、翔はリスペクトデュエルをマスターする。
3年半のうち、翔の半数以上のデュエルが第二期の一年に集中している。この間に翔は何をしているかというと、「十代の弟というポジションを自ら望んで勝ち取り、ライバルと共に闘い、リスペクトデュエルをマスターして亮の監督下から完全に卒業」していたりする。
実はこれは、GXの縮図と言うことができる。これを十代に変換すると、「アカデミアに望んで入学し、仲間を得て、ヒーローをマスターして卒業」となる。
つまり2年目は、翔を主人公代理とした軸が一本、本筋とは別にあったことになるのではないか。

しかし話はもっとややこしい。
まず、2期ラストのカオスすぎる展開を見れば一目瞭然な通り、万丈目をメインにした軸が一本見つかる。ここであからさまなのは、VS光の波動という十代がメインに関わっている物語とジェネックスがほぼ無関係だということである。
光の結社に関係してはいるが、明日香をめぐる、吹雪の思い、万丈目の思いと、それを託される十代の立ち位置を見れば、やはり独立していると思われる「ヒロイン・明日香」の物語。
空気化によってどんどん本編からそれていき、完全に逸脱する三沢。
これは何を意味するのか。

「テーマソングが変わっていない」という事態を予定調和と捉えるなら、「十代の自己紹介」で区切った場合に、そこから先の話はまだ続いている、という宣言だと解釈することができる。では、「続いている話」とは何なのだろうか。
十代の「デュエルを楽しむ」という自分らしさは、34話以降に登場するセブンスターズや亮にも影響を与えていたし、2期ではエドに大切な思いを思い出させる。そして、十代はエドの運命を狂わせた敵を倒す―ヒーローとしての役割を果たす。
つまり、1期の後半から2期、「99%」の期間は、十代が「自分らしさ」によって周囲に影響を与え、無意図的にヒーローとして活躍する時期なのである。

こうして見てみると、2期というのは十代(&剣山)がヒーローとして登場する「エドの物語」を主軸にして、同じく十代をヒーローとして登場させながら、「翔の物語」、「万丈目の物語」、「三沢の物語」、「明日香の物語」が、絡み合いながらもそれぞれ独立に進行していたと言える。
付け加えれば、OPにこそ登場していないが、「亮の物語」も同様である。亮がOPに登場しないのは、第二期の彼のメインの立ち位置があくまで「敵」サイドであり、「翔の物語のラストボス」だからだろう。
つまり、「十代が主役の物語」としては、第二期は一部分でしかなく、その代わりに、第二期は最も「サブキャラクターが主張している時期」なのである。

こうして見れば、OPがエロゲ風になった理由もうなずける。
あれは間違いなく、攻略キャラそれぞれに対応したルートが「ひとつの物語」である恋愛シミュレーションゲーム同様、「キャラクターそれぞれが独自の物語を持っている」という第二期の構造、「十代をヒーローとした物語のオムニバス形式」を象徴していると考えられるのだ。

すべての布石は整った―亮ならそう言うのかもしれない。
物語は、クライマックスという名の本題―「十代を待つ運命」へと進んでいく。
そう、描かれるのは「運命」である。第二期冒頭TURN-53「運命の始まり! 新入生エド・フェニックス」で言われている「運命」とは、誰の、どこまでの運命の始まりだったのか。

それは十代の、第三期まで含めた運命の始まりだったのではないだろうか。

■OP3 ティアドロップ/BOWL
いつでもその笑顔 救われてきた僕なんだ
今だけ泣いていいよ ずっとここにいるから
ただ 僕はここにいるから

■ED3 太陽/BITE THE LUNG
ほら いきあたりばったりじゃなく つまらなくてもふてくされないで
太陽(かれ)も世界中照らして 共に生きてる


第三期に当たるTURN-105からTURN-156。OPはBOWLが続投しており、雰囲気が大きく変わるわけではないが、曲調・歌詞ともにさらに繊細なものとなっている。EDはラップ調(って言っていいのかな?)の「がんばれ」というメッセージに満ちた応援歌だが、これからの苦難を思わせる。
ところで今歌詞を見返して思ったが、「太陽」が亮から十代すぎて吹いた。いや、前から思ってないこともなかったが、でも今すごい思ったよ、なんだこれ亮の歌じゃないの?(…)
OPはみんなから十代が基本だけど十代からみんなとか十代からユベルとかもありだと思っている。「ティアドロップ」は、誰の歌っていうより、本当に「GXのテーマソング」なんだろうなと。

と、羽目を外すのはこれくらいにして続けよう。
「ティアドロップ」の映像は何度か細かい部分で差し替えられているが、アカデミアの近くで立っている十代の部分に注目したい。
第三期前半は、サブキャラクターたちの物語という形で第二期で枝分かれした筋を収束させる、本格的な「十代の物語」への移行期である。アカデミアの建物前で目を閉じている十代、目を開けてアカデミアのほうを向く十代、最初からアカデミアのほうを向いている十代という映像の変化は、「十代の物語」への筋の収束具合を示していると見ていいだろう。

三期では、ぽっと出のヨハンがなんでいきなり親友になるんだ、とよく言われているような気がする。
しかしこれはむしろ、十代の「親友」ヨハンが何故3期で登場するのか、と考えた方がいいのではないだろうか。
そしてその答えは―普通の物語なら、話は3期から始めるから、ではないのだろうか。

要するにこう言うことである。3期だけで「ひとつの物語」として見たときに、ヨハンの留学はよくある第一話「謎の転校生」なのだ。
この構造は第二期のエドもまったく同様だし、先取りして言えば、正体はオネストとはいえ、藤原の帰還も同じことである。
つまりGXは、一貫した「十代の物語」の中に、多重構造として「サブキャラクターの物語」を巧妙に織り込むことで、1年ごとの「新シリーズ」を独立した話としても作るという、えらく入り組んだ作りになっていると考えられる。はっきり言って私はスタッフが怖い。
案外、どこで打ち切られてもいいようにこの構造なのかもしれないが(…)

3年目は、2年目の「物語」の中で決着のついていなかった「三沢の物語」「亮の物語」が完結し、十代が「運命を受け入れる」ことで終結を迎える。
そして4年目は、その運命から十代がどう道を切り開いていくか―すべてのキャラクターが、どう未来を切り開いていくか、というストーリーになっていく。

■OP4 Precious Time, Glory Days/サイキックラバー
忘れないよ はじめての夢 追い続けて Keep Holding On!

■ED4 Endless Dream/きただにひろし
最強のカードでつかみとれ! 輝くデュエルの果てなき夢を
どんなに辛いときがあっても 信じる仲間の笑顔抱いて

歌い手も一新し、曲調も一期の頃に近い明るいものとなっている。
4期、未来を切り開くのは「「夢」という自分らしさへの原点回帰」なのだが、OPではそれが端的に示されている。その道にあるものが楽しいことばかりではないことももう知ってしまっているが、仲間がいるから大丈夫だ、というのがEDである。

4期の構造はどうなっていたのだろうか。
十代はヒーローという運命の象徴、かつて仲間を傷つけた「ユベル」を内に秘めていても、仲間として受け入れられたことを知って、ヒーローとしてみんなの夢を守る。そしてその後、デュエリストとしての自分の夢へと出会う。その相手は、前作主人公・遊戯だった。
ファンサービスももちろん含まれているだろうが、これは「ヒーローの運命(=ユベル)と無関係な相手」がGXの作品内には存在せず、また十代と「物語の構造レベルで対等な相手」が「主人公」だから、と言うことができるだろう。
多重構造のまとめを一手に引き受ける十代は、まさに「GXの主人公」だったのだ。

+++
最後駆け足になりましたが、とりあえずそんな感じです。
ほんと、思った以上に長かった。

詳しい説明はしょっちゃえば、GXの1・2・3・4期ってのはいわゆる「起承転結」に完璧に対応してて、

起 : 京都四条の糸屋の娘 (第一期)
承 : 姉は十六 妹十四 (第二期)
転 : 諸国大名弓矢で殺す (第三期)
結 : 糸屋の娘は目で殺す (第四期)

のパターンのを忠実に踏襲しただけなんだ、って説明とかもできるんですけど。
3期だけ浮いてるのもこれで一発(…)
でもこれだけじゃなぁ。

そろそろ私は「スタッフは最初から4期までの本筋をきちんと見通していた」という説を疑えなくなってるんですが、この考察は果たして壮大な深読みにしてこじつけなのか…
いやいやそれはねーだろスタッフなにもんだよ、と思わざるを得ない。
私には支離滅裂どころか計算されつくしすぎて冷たくね?と言いたくなるレベルに見えるよ…いや、GXが冷たいなんてひとつも思ってないけど。厳しいとは思ってるが(笑)
愛する我が子を千尋の谷に落としすぎ!大好きだ。

まだ集中講義まっただ中だったりするんで(マテ)、一週間ほど留守にします~。

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2009/08/05 19:37 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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