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2025/05/04 18:26 |
亮vsエドと翔vs亮(ヘルカイザー)
エドの「アカデミア生」の肩書を見た亮。「プロ」として立っていたエド。
そのズレを見抜かれてヒーローデッキで「十代のふり」までされたら、もうどうしようもないな…。
亮はエドの「アカデミア生」とか「ヒーローデッキ」とかの属性から主に十代の像をダブらせてる(爆)から、違和感の理由に気付けないまま、最後には「カイザーの名にかけて」っていうことになる。…あのセリフ、何より十代への思い入れの賜物なんだよね…(笑)
亮が自分を見失ったのは、「相手の心となって自分を見る」リスペクトデュエルで、相手の居場所を把握できなかったから。だから何もないところ(十代ならいるだろうポジション)に心を置いてしまって、自分が見えなくなった。というよりは、「十代の振りをしたエド」って十代でもエドでもない人=誰でもない人をリスペクトしたから自分を見失ったような気もするけど…うーん?
ヘルカイザー亮はあくまで翔のリスペクトに対して翔の視線を受け止めて拒否を主張し続けてるからリスペクトの余地があるんだけど、エドは視線そのものを受け流してる(運命に「自分」を委ねてる?)から、のれんに腕押しな感じで手ごたえが返ってこない、つまり、「リスペクトすることができない」の内実は、「視線が返ってこない」ってこと。だから自分を見失う。
この場合、エドの受け流しを見切ってエドがミスリードしてる視線を拒否することができないと駄目なんだよね、多分。まぁ、最後にミスリードの種明かしされるんだけど。
何にせよ、亮はアカデミアと十代への思い入れが強すぎて負けたと(…)
ほんとこの人十代好きすぎる\(^o^)/十代=アカデミアの象徴だから仕方ない。
この場合プロ意識が足りないと見るべきかアカデミアが好きすぎると見るべきか。
平均レベルから言ったら後者なんだと思うんですけどねー。ただのプロ相手だったら問題なくプロやってたんだろうし。この判断が亮贔屓なせいなのかどうか、もはやよく分からない…。
「リスペクトデュエル」が相手依存のデュエルスタイルだから、自分で考えるデュエルスタイルに切り替えないといけなかったんですよね。で、そのためには、一度他者からの視線を全部拒否しないといけなかったっていう。
完全に反抗期の構造(笑)
でも、これは、成長のためには、アイデンティティ確立のためには不可避な境界期なんですよね…。
まぁとりあえず、
GXほど考察が難しいアニメないと思います。
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2009/06/12 21:42 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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