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2025/04/30 23:31 |
翔の異世界ストーリー
翔のキャラ紹介を更新してみたんですが、異世界編の解説(?)がどんどん増えて削れないという事態に…GXサイト開設の動機だっただけはあります(笑)
なわけで、語り足りない分を語りに来ました(笑)

異世界編で翔が傍観者になってから取ってた態度って、つきつめていくと
十代が人殺しするのはOKでも自殺するのはNGだった
んですよね、どう見ても。
もちろん「OK」っていうのは言い過ぎだし、ジムやオブライエン、エドが倒れていくことで翔も傷ついていたとは思います。とどめが亮だったし。

だけど、そもそも仲間を失いたくないがために異世界に戻ることを渋っていた翔は、同じように仲間が大切で、だからこそヨハンを諦められない十代の真剣さに賭けたわけで、その十代がヨハンを取り戻すことに自信を失いかけて、言い訳のように「(ヨハンが駄目でも)困った人は助けられる」と言いだしたこと、それを察した仲間の忠告を振り払ったこと、その結果として仲間を犠牲にしてしまったこと、そして何より、仇打ちで仲間の犠牲が清算されたと思ったことが許せなかった。
もちろん、十代が自分の不安から目を逸らそうとしたことや、仇打ちで満足しようとしたのは、そうでないと完全に心が折れかねなかったからこその無意識の自己防衛の面が強いとは思いますが、翔はそれを自分の感情であっさり叩き折ったわけですね。
十代が自分の意志を守るために自分さえ騙して行動しようとしていた反面、翔は翔で自分の感情を主張しているだけなので、「壊れあうから動けない・寂しい羽根重ねて」(ignited―イグナイテッド―)って感じですが(爆)それは決して無視されるべき感情ではなかったと思います。何より、もともと十代と翔は仲間が大切な気持ちで一致していたわけで、だからこそ翔の感情は十代に鋭く突き刺さったんです。十代には、翔の気持ちが痛いほど分かる素質があったから。

そして翔にとっても、仲間を思うが故に絶対に許せない十代は、大切な仲間達の中でも一番大切な仲間だった。
その矛盾が翔に、十代の行動に一切介入しない十代の傍観者という道を選ばせます。
これは、十代がどんなに危ない目にあっても助けもしないけれど、十代がどんなに残酷なことをしても邪魔をしないということです。仮定の話でしかありませんが、そこから先、覇王十代が世界を滅ぼしたとしても翔は黙って見届けたことでしょう。つまり翔は、(覇王)十代が仲間を殺したり世界を滅ぼしたりするのを黙って見届ける=追認するという形で、仲間を失うのも世界が滅びるのも自分の責任にしようとしたんです。翔は十代に同調して仲間を失うことになったという自分の責任を、十代のすべてを見届けることで果たそうとした。それは同時に、十代の行動を傍観=追認することで、十代と命運を共にしようとしたということです。
最大級の友情であるが故に完全無欠に一方通行なんです。
…本編がそう言いたいのは分かるけど中味がイマイチ分からなかった理屈がようやっと分かりました…(笑)

だから翔は、十代が人殺しするのは見届ける覚悟があったし、実際にジム・オブライエン・エド・亮の死を見届けたわけです。(後半は十代が直接手を下したわけじゃないですが)
だけどひとつだけ、どうしても見届けられなかったのが十代の死だった。
実際、ガーディアン・バオウに十代がやられようとした時点で半分傍観者やめかけてますし(相手が亮じゃなかったら亮VS十代でもやめかけた可能性が否めない)、最終的に十代が選んだ超融合(=ある意味での自殺行為)は全否定です。

「傍観者」なら、あれは黙って見届けるところです。だけど翔は「行っちゃ嫌だよ!」と叫んだ。あれは、あそこで十代が「仲間を助けられる選択肢」を見つけ出して選んだことで、異世界で仲間を犠牲にした十代と翔の責任が清算されたから、翔が傍観者でいる責任も終わったからです。
要するに、感情の面ではもうとっくの昔に「十代の弟分」に戻りたかったんですよ、翔は!(笑)
そこを我慢して、十代が自分の責任を果たすのを心を鬼にして見守っていたわけです。それが十代に対して、そして消えていった仲間達に対して翔にできる精一杯の責任の取り方だったから。
そしてその責任を果たした後の「十代の自殺行為の全否定」と、「それに反しての十代の超融合の決行」は、十代と翔が別個の存在だという何よりの証明であると同時に、翔にとって十代が本当に大切な友達だという証明でもあります。これだけ見たら紙一重で十代の方が我がままなんですけど(笑)ユベルへの愛は友情には譲れなかった。王子の誓った「誰が何と言おうとキミだけを愛し続ける」の一番の犠牲者は翔だったっていう(笑)

まぁなんということはない傍観者の翔も立派なヤンデレという萌えメガネで開発されたはずの読み変えが単なる事実だったという感じなのですが(核爆)
究極の愛は狂気に似ているということですね。GXそんなんばっかりで困ります。身に覚えもありすぎて困ります
だけど狂気にも似た愛情に触れない限り、人はまともな人間にはなれないのかもしれないとも思います。この狂気にも似た愛情は、何より親から子へ与えられるべき愛情と同等のものだから。
「何があっても私はあなたを愛している」と言ってくれる人がいると感じたことが無いと、この世界に自分の居場所があると確信するのは難しいんじゃないかな、と。
居場所を確信せずに、自分と他人の感情を同時に背負うことはできません。普通は一人分で精一杯なんです。他人の感情を背負ったと思った瞬間、自分の感情がどこかにいって、他人が自分になって結局自分の感情しか背負ってないのが普通です。
人には、「無条件で愛してくれた人」が、最低一人は必要なんです。
例えば、藤原にとっての吹雪とか(核爆)
十代にとってのユベルとか。
そして究極、みんなにとっての十代、そしてアカデミア、なんですねぇ…。
そりゃGXがそればっかになるはずだ。
そして無条件で愛されるのも存外恐ろしいということも教えてくれるGX(爆)
愛されたからって優しくされるとは限らない!(核爆)
なんかとりとめなくなってきましたね。

えーっとまとめて言うと、翔は万丈目達が犠牲になった時点で「犠牲になった仲間」と「その原因を作った十代」の板挟みになっていたのですが、その板挟みになる原因になった自分の判断、「十代の意志の肯定」を突き詰めたら傍観者になるしかなかった、ということです。毒を食らわば皿までってやつです。ほんとお兄さんにそっくりだこと…(笑)
黙って見届けるより、手出し口出ししまくるほうがよっぽど簡単な時もあります。亮とダークヨハンのデュエルを止めようとした十代がそうです。
「見届けること」は、翔にとっても辛い試練だったのでした。
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2010/04/25 18:32 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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