浜崎あゆみのあれ。
chipsでタイトルに使った(記事タイトルは誰得~)ら、ハマった。
通りすがりのファン→亮でもいいけど、みんな→十代とか使おうと思えばわりとGX全体で使えそう。
文系の皮を被った理系な私は考察を数式で考えるのが地味に好きだったりするのですが、今回思いついたのはこんなのでした。
(Xの2乗)+(Yの2乗)≦1 (「亮」の範囲/境界線を含む)
(Xの2乗)+(Yの2乗)<1 (「ヘルカイザー」の範囲/境界線を含まない)
境界線=絆/いわゆる「リスペクトなどという感情の入る余地」(笑)
高校数学です。なんの変哲もない「原点を中心とする半径1の円」の内部を示す式。
円にする理由は特にありませんが、円が一番数式にしやすかったので。
私は理系っぽい思考回路をしてるみたいなんですが、あくまで文系やってます。
というわけで文系でも習ってるはず…って、そういえば指導要領変わってるんだっけ?(…)
以下、数学なんか消えちゃえ!な文系向けにちょっと説明。
ここで「絆」を当ててる「境界線」ってのが、なかなか曲者で。
これ、理論上は引けるけど実際には引けない幅がゼロの線、つまり、「あるのにない」「ないけどある」部分なんです。
そもそもxy平面上の「点」というのも、「面積がゼロの図形(面積がゼロだから、円でも四角でも三角でも形はなんでもいい)」と言うことができます。xy平面っていうのは不思議なもので、面積ゼロの点が集まって平面ができてるんですねー。
というわけで、「デュエルにリスペクトなどという感情の入る余地などありはしない」は、真でもあるし偽でもある。「絆」に一致する「幅の無い線」は、あるともないとも言えるので。でもこのときの亮は「ヘルカイザー」なので、この線は「ない」と判断されるわけです。
第一期の「カイザー」は、この境界線の存在を知りません。潜在的には「亮」の範囲に一致しますが、境界線を知らないので、xy平面上に図形として現れてきていません。というか、xy平面そのものの存在を知らない、もっと言ったらxy平面が存在していない、と言うこともできるかもしれません。涼宮ハルヒの古泉くんの言ってる人間原理的なあれ。
第二期のエドは、カイザーがなんぼのもんじゃい!と、亮のリスペクト(=絆の形成)を拒絶した上で勝利することで、「カイザー」からこの境界線を奪い取り、「亮」の範囲を円の外側から切断します。このとき初めて、まずは「境界線を持たない円」として「ヘルカイザー」の占有可能な範囲が設定されます。
亮は境界線(=絆)を共有していた仲間、リスペクト対象だった「対戦相手」=「敵」に容赦なく立ち向かうことで、「ヘルカイザー」の占有可能な範囲を限界まで塗りつぶし、「勝利」によって境界線を内側から象ります。vsヨハンで「ヘルカイザー」が「限界を超えた」ことは、「ヘルカイザー」が「亮」に変わるために必要な「境界線の確保」に当たるわけです。
境界線の剥奪→アイデンティティの拡散
境界線の確保→アイデンティティの確立
とも言えます。
十代の場合だと「仲間を失うこと」が「境界線の剥奪」で、「ユベルとの超融合」が「境界線の確保」だったりします。
意味不明だったらすみません!
どう言ったら分かりやすいだろうと手を加えては余計分かり難くしている気がする。
chipsでタイトルに使った(記事タイトルは誰得~)ら、ハマった。
通りすがりのファン→亮でもいいけど、みんな→十代とか使おうと思えばわりとGX全体で使えそう。
文系の皮を被った理系な私は考察を数式で考えるのが地味に好きだったりするのですが、今回思いついたのはこんなのでした。
(Xの2乗)+(Yの2乗)≦1 (「亮」の範囲/境界線を含む)
(Xの2乗)+(Yの2乗)<1 (「ヘルカイザー」の範囲/境界線を含まない)
境界線=絆/いわゆる「リスペクトなどという感情の入る余地」(笑)
高校数学です。なんの変哲もない「原点を中心とする半径1の円」の内部を示す式。
円にする理由は特にありませんが、円が一番数式にしやすかったので。
私は理系っぽい思考回路をしてるみたいなんですが、あくまで文系やってます。
というわけで文系でも習ってるはず…って、そういえば指導要領変わってるんだっけ?(…)
以下、数学なんか消えちゃえ!な文系向けにちょっと説明。
ここで「絆」を当ててる「境界線」ってのが、なかなか曲者で。
これ、理論上は引けるけど実際には引けない幅がゼロの線、つまり、「あるのにない」「ないけどある」部分なんです。
そもそもxy平面上の「点」というのも、「面積がゼロの図形(面積がゼロだから、円でも四角でも三角でも形はなんでもいい)」と言うことができます。xy平面っていうのは不思議なもので、面積ゼロの点が集まって平面ができてるんですねー。
というわけで、「デュエルにリスペクトなどという感情の入る余地などありはしない」は、真でもあるし偽でもある。「絆」に一致する「幅の無い線」は、あるともないとも言えるので。でもこのときの亮は「ヘルカイザー」なので、この線は「ない」と判断されるわけです。
第一期の「カイザー」は、この境界線の存在を知りません。潜在的には「亮」の範囲に一致しますが、境界線を知らないので、xy平面上に図形として現れてきていません。というか、xy平面そのものの存在を知らない、もっと言ったらxy平面が存在していない、と言うこともできるかもしれません。涼宮ハルヒの古泉くんの言ってる人間原理的なあれ。
第二期のエドは、カイザーがなんぼのもんじゃい!と、亮のリスペクト(=絆の形成)を拒絶した上で勝利することで、「カイザー」からこの境界線を奪い取り、「亮」の範囲を円の外側から切断します。このとき初めて、まずは「境界線を持たない円」として「ヘルカイザー」の占有可能な範囲が設定されます。
亮は境界線(=絆)を共有していた仲間、リスペクト対象だった「対戦相手」=「敵」に容赦なく立ち向かうことで、「ヘルカイザー」の占有可能な範囲を限界まで塗りつぶし、「勝利」によって境界線を内側から象ります。vsヨハンで「ヘルカイザー」が「限界を超えた」ことは、「ヘルカイザー」が「亮」に変わるために必要な「境界線の確保」に当たるわけです。
境界線の剥奪→アイデンティティの拡散
境界線の確保→アイデンティティの確立
とも言えます。
十代の場合だと「仲間を失うこと」が「境界線の剥奪」で、「ユベルとの超融合」が「境界線の確保」だったりします。
意味不明だったらすみません!
どう言ったら分かりやすいだろうと手を加えては余計分かり難くしている気がする。
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