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2025/05/04 21:35 |
お前は私の友人だ
久々にドラクエVの漫画の「天空物語」(幸宮チノ)を読んだら、漫画オリキャラのカデシュのヘルカイザーとのだだかぶりっぷりに笑った。もちろん一番好きなキャラですが何か☆
しかしこうしてみると、友達とか人情とか持ってるところからスタートして、負の感情を正当化するでもなく強さだけを求めた亮の異彩っぷりが際立ちますね。新しい形だわー(笑)

デュエリスト100%な亮はGXキャラのベースなんだと思った。
比較対象:十代はデュエリスト120%=ヒーロー100%
変な話、だからこそ亮だけは「勝ち負けが関係ない」って言ってられなくなる。
十代は「勝つために」じゃなくて、勝って「守るために」力が必要になるから、「デュエル自体の勝ち負け」はわりと本気でどうでもいい。デュエルって楽しいじゃん!になる。
…のに、卒業デュエルで勝ち負けがどうでもよくなかったのは、亮の「デュエリストとしての輝き」(=強さ)に十代が魅了されてたってことなのよね…。
…「カイザー」の限界決めてたのって、本気で「デュエル・アカデミア」だったのか。
「カイザーのデュエル」を限界づけてたのは「アカデミア」…というか厳密には「模範を見せるべき後輩の存在」(あと「模範にするべき師範の存在」)だから、一個人になっちゃったプロリーグでは「模範」を気にしなくていい。でも逆を言ったら、目指すべきゴールも明確には見えない。
そういう状況で、亮はひたすら「デュエリストのデュエル」をしてたんだなと。
なんだけど、148話でやっぱり「カイザーはすげぇ!」ってなるのは、亮と十代が、卒業デュエルでは「デュエリストとしての先輩・後輩」だったのが、148話で「人間としての先輩・後輩」になったからなんだなーという。「自分の本分」をめいっぱい生きる、っていう。

・・・あんまり見てないけど、そう考えると2期の構造面白いなぁ・・・能天気にヒーローにあこがれる十代に「お前むかつくんだよ!」って、ヒーローってのはつらい宿命を負ってるんだみたいなこと言ったエドだけど、十代と闘ってデュエルの楽しさを思い出したんですよね?(十代がエドに勝つ話見てない・爆)
その一方で亮がやってたのはつまり、何甘っちょろいこと言ってやがる、こと「デュエル」に関しては「デュエリスト」の宿命の方が「ヒーロー」よりよっぽどきついんだぜってことなわけで…。
エドは多分「デュエリスト」であって「ヒーロー」じゃないからこそ、無理しないとヒーローやれないから「ヒーローは辛い」って思ってたんだけど、真の「ヒーロー」が持つ宿命の本当の辛さはエドの想像を軽く超越するということが明らかになるのが3期。
と同時に、宿命がもたらす自分自身の最高の輝きを知るのも3期なわけですが。
いや、ほんと奥深いです、GX。
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2009/07/12 21:01 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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