再編集したときに修正しますが。
△純粋なる勝利=正しい力を使う者、勝つべき者の勝利
ヘルカイザー
=カイザーの敗北
ヘルカイザーの敗北
=ヘルカイザーの否定
=カイザーの敗北の否定
=カイザーの純粋な勝利
〇純粋なる勝利=「ヘルカイザーの敗北」という形の「カイザーの純粋な勝利」
真の肯定とは二重否定という否定であるというやつですね。
NASどんだけ偉大なんだよ。
あと「攻撃力16000のサイバー・エンド」は、前にもいったように、オフィシャルカードゲームでとかいう話ではなくて、GX的にも本来不可能なんだと思われ。
「アンタ以上に輝いて、奇跡を起こしてみせる」ってことは、亮もまた輝いた結果奇跡を起こしたはずなわけですよ。
そしてあのデュエルにあるものが「カイザーの純粋な勝利」ってことは、どこかに「カイザー」が現れてるはずで。
それが、「除外で途切れるはずのパワー・ボンドの効果が持続した結果現れる、攻撃力16000のサイバー・エンド・ドラゴン」。
なんでそんなことが可能になったかって、勝利への欲望を超えた時点で、亮が居る場所は「サイバー・エンド」、ヘルカイザーとカイザーの境界線上、どちらでもないかつどちらでもある場所だったりして。亮が使った「サイバネティック・ゾーン」は、サイバー・エンドの守護領域かと思ってたんだけど、そうじゃなくて、文字通りの「人工頭脳上の領域」=「仮想現実(サイバー)から解き放たれた異世界」で、「仮想現実の法則にとらわれない」=「除外されても除外されてない」みたいになるんだと思う。あれは「すべてが具現化する異世界」だから、このものすごい抽象的な話も具現化する。
亮はカイザーもヘルカイザーも超えて、
「ルールを無視する」という奇跡を起こした(笑)
そりゃあもう「なんだと…!?」「すげぇ…」って言うしかないよなぁ(笑)
そのあとの十代の超融合がプレイヤーに効果が及ぶのもしょうがない。
ルール無視以上の奇跡起こさないといけないんだから(笑)
さらに言えば、「カイザー」が十代と一緒に作られたって言ったけど、十代は何をしているかと云うと、「カイザーの存在を確認する観測者」だったりする。そしてまだ、この観測者なしに「カイザー」が存在することが出来ないから、卒業デュエルでのサイバー・エンドの攻撃力は、十代のシャイニング・フレア・ウイングマンの攻撃力も合わせた…えーと、いくつだっけ?16000+16000+16000+?×2=57800…4900…36900か(←どんな思い出し方だよ)で、最後は二人で「ファイナル・フュージョン」。
ここから十代の力を全部排除して亮の力だけを純粋化した数値も「16000」。
NASどんだけ偉大なんだよ。
この場合デュエル構成の彦久保さんがすごいんだろうか。
つーか、NASはいつから展開考えてたの?
亮が「純粋なる勝利を得るために」って言った時点でヘルカイザーが負けることは確定してるわけで。というか「パーフェクトという限界」って言った時点で超えるフラグ(カイザーとヘルカイザーを超えてサイバーからサイバネティック・ゾーンに解き放たれたことで亮は限界を超えて無限の可能性に踏み出した)だし、そのためにあの一連の話があるってことは、もう1期終わった時点で亮に関しては4期の翔のエピソードまで予定されてても不思議じゃない。
GXが偉大すぎる…。
…あれ、てことは、次に亮が使うのは「サイバネティック」シリーズ?(笑)
ウィキペディアによると原作遊戯王のテーマは「友情」「愛」「死」「自立」らしいですが、
亮はこれ全部一番純粋な形で描いた結果だと思うよ。
「カイザー」は十代との友情の賜物だし、その「カイザー」に亀裂が入ったことで鮫島校長(師範/先輩)・吹雪(親友/同輩)・翔(弟/後輩)との愛ある関係(笑)の中で「ヘルカイザー」という過程を通って、十代と自分の境目を見極めて(爆)、死という形で「カイザー」から抜け出ることで亮は個人としてのアイデンティティを確立したわけで。(そのアイデンティティも十代の友情に承認される/観測者である十代にとっては「カイザーが亮」なので「カイザー」って呼ぶ。翔に向かっては「翔がカイザー」。主語と述語が違うのよ…)
何この偉大さ。
吹雪の担当ポジションが親友より恋人のほうがしっくりくる件
△純粋なる勝利=正しい力を使う者、勝つべき者の勝利
ヘルカイザー
=カイザーの敗北
ヘルカイザーの敗北
=ヘルカイザーの否定
=カイザーの敗北の否定
=カイザーの純粋な勝利
〇純粋なる勝利=「ヘルカイザーの敗北」という形の「カイザーの純粋な勝利」
真の肯定とは二重否定という否定であるというやつですね。
NASどんだけ偉大なんだよ。
あと「攻撃力16000のサイバー・エンド」は、前にもいったように、オフィシャルカードゲームでとかいう話ではなくて、GX的にも本来不可能なんだと思われ。
「アンタ以上に輝いて、奇跡を起こしてみせる」ってことは、亮もまた輝いた結果奇跡を起こしたはずなわけですよ。
そしてあのデュエルにあるものが「カイザーの純粋な勝利」ってことは、どこかに「カイザー」が現れてるはずで。
それが、「除外で途切れるはずのパワー・ボンドの効果が持続した結果現れる、攻撃力16000のサイバー・エンド・ドラゴン」。
なんでそんなことが可能になったかって、勝利への欲望を超えた時点で、亮が居る場所は「サイバー・エンド」、ヘルカイザーとカイザーの境界線上、どちらでもないかつどちらでもある場所だったりして。亮が使った「サイバネティック・ゾーン」は、サイバー・エンドの守護領域かと思ってたんだけど、そうじゃなくて、文字通りの「人工頭脳上の領域」=「仮想現実(サイバー)から解き放たれた異世界」で、「仮想現実の法則にとらわれない」=「除外されても除外されてない」みたいになるんだと思う。あれは「すべてが具現化する異世界」だから、このものすごい抽象的な話も具現化する。
亮はカイザーもヘルカイザーも超えて、
「ルールを無視する」という奇跡を起こした(笑)
そりゃあもう「なんだと…!?」「すげぇ…」って言うしかないよなぁ(笑)
そのあとの十代の超融合がプレイヤーに効果が及ぶのもしょうがない。
ルール無視以上の奇跡起こさないといけないんだから(笑)
さらに言えば、「カイザー」が十代と一緒に作られたって言ったけど、十代は何をしているかと云うと、「カイザーの存在を確認する観測者」だったりする。そしてまだ、この観測者なしに「カイザー」が存在することが出来ないから、卒業デュエルでのサイバー・エンドの攻撃力は、十代のシャイニング・フレア・ウイングマンの攻撃力も合わせた…えーと、いくつだっけ?16000+16000+16000+?×2=57800…4900…36900か(←どんな思い出し方だよ)で、最後は二人で「ファイナル・フュージョン」。
ここから十代の力を全部排除して亮の力だけを純粋化した数値も「16000」。
NASどんだけ偉大なんだよ。
この場合デュエル構成の彦久保さんがすごいんだろうか。
つーか、NASはいつから展開考えてたの?
亮が「純粋なる勝利を得るために」って言った時点でヘルカイザーが負けることは確定してるわけで。というか「パーフェクトという限界」って言った時点で超えるフラグ(カイザーとヘルカイザーを超えてサイバーからサイバネティック・ゾーンに解き放たれたことで亮は限界を超えて無限の可能性に踏み出した)だし、そのためにあの一連の話があるってことは、もう1期終わった時点で亮に関しては4期の翔のエピソードまで予定されてても不思議じゃない。
GXが偉大すぎる…。
…あれ、てことは、次に亮が使うのは「サイバネティック」シリーズ?(笑)
ウィキペディアによると原作遊戯王のテーマは「友情」「愛」「死」「自立」らしいですが、
亮はこれ全部一番純粋な形で描いた結果だと思うよ。
「カイザー」は十代との友情の賜物だし、その「カイザー」に亀裂が入ったことで鮫島校長(師範/先輩)・吹雪(親友/同輩)・翔(弟/後輩)との愛ある関係(笑)の中で「ヘルカイザー」という過程を通って、十代と自分の境目を見極めて(爆)、死という形で「カイザー」から抜け出ることで亮は個人としてのアイデンティティを確立したわけで。(そのアイデンティティも十代の友情に承認される/観測者である十代にとっては「カイザーが亮」なので「カイザー」って呼ぶ。翔に向かっては「翔がカイザー」。主語と述語が違うのよ…)
何この偉大さ。
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