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2025/05/02 11:50 |
やばーい
寝つけなかったーvvv
昨日の続き。
いやー…リアルタイムで十代VSダークネス見てたとき、「耳に痛い説教しないで十代vv」とか言ってたんですけど、はぁー…。
単に十代は、ダークネスが見せる「まやかしの絶望」=「未来への不安」なんかには及びもつかない「本物の絶望」を知ってただけなんですね。何もなさず、何も残さず消えていったアモン、っていう…。「俺たちはまだ何もやり遂げてないじゃないか!」っていうのは、もう何もできないアモンを知ってるから、言えるセリフなんだろうと。
だからダークネスを倒しても、みんなが絶望に立ち向かう力を手に入れても、むしろ十代のほうが自分の絶望へと立ち向かう力を持ちきれていない。生まれた理由も、自分の存在価値もわかった。けれど最後に死という無への入り口が待っているのなら、それにどれほどの意味があるのか?
十代には「みんなを守る使命」(≒仲間との絆)があるからダークネスに負けなかったけど、ある意味では十代自身がダークネスの語る言葉の真実を一番よくわかっている。絶対に誰にも癒せない絶望を持っているからこそ、唯一それを「消せる」無の意味を知っている。
だから、遊戯と闘わないといけない。最後に無に還るから、人生に意味はないのだろうか?十代が見つけた答えは―生きる意味はある。今確かに感じている最高の瞬間があるから、それを何度でも感じたいから、前を見据えて生きていける。それが、「みんなにとっての最後の希望」だった「十代」にとっての「希望」だったんだな、と。
(ちなみに、遊戯じゃないといけない理由…というか、仲間じゃこの相手ができない理由は、十代が取り戻すべきものがダークネス戦でみんなが手に入れたものと同じ「未来に踏み出す勇気」で、デュエルの相手が「未知」じゃないといけないからです。)

で、十代はこんなの頭じゃ考えてないんですよね。直感の人だから(笑)

GXのリアルタイム感想、日記からサルベージしたときに実は修正とかしてて、最終回の感想から削除したセリフに「俺の遊戯はどこだ!(錯乱)」というものがあったのですが。
…結局、私の遊戯はGXだったな、と思う今日この頃です…(笑)
人間がこんな話作れるんだったら、私生きていけると思う(笑)
クリエイターってすごいなー。

というわけでどういうわけで、GX考察のせいで本格的に研究者になりたくなってくる今日この頃でした…なんてギャンブラーな人生\(^o^)/
とりあえず今日のレジュメ…orz

追伸:無事発表おわったー!
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2009/10/13 09:55 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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