考察とかもはや怖くて言えねぇ(笑)
哲学的すぎるよヘルカイザー。
哲学的すぎるよヘルカイザー。
箇条書き
・57話はあくまで亮はエドには(リスペクトデュエルでは)絶対勝てなかった。
・亮が自分を見失ったのは、無意識に「絶対負ける」と分かって、それを認めたくなかったから。
・亮はエド戦で完全無欠に「自分から逃げた」し「敗北から逃げた」(=負けたくない)わけだったりする。
・65話は「負けたくない」が表に出てきた結果、アンチリスペクトで勝利。
・65話時点では「勝てればいい」だったのが、83話までの間に「勝つために強くなる(89)」に意識がちょっとシフトする。
・89話「リスペクトの精神を忘れていない」=相手の心理をトレースしながら闘ってる。
・けど闘い方には反映させてない。
・メダルを踏みにじるのは、敗北から逃げてる亮には相手が敗者になった瞬間相手の気持ちから逃げたくなるので、勝ち逃げしかできないからのような。
・「闇に囚われてない」ってことは、そういう自分も多分知ってる…のかなぁ?ちょっと分からない。
・つまり亮は、勝利は欲しいけど敗北は欲しくない。相手の敗北も欲しくない。
・95話の翔に向かっての「消えろ、敗者は!」も、そういうことかな?
・翔を倒したことで「サイバー・エンドを超える」目的は達成?
・「リスペクトデュエルの敗北を受け入れる」ことは翔に託した形。
・ということは脱線するけど、95話時点の翔には卒業デュエル時点の亮と十代並の実力はあると思われる。強くなったなぁ…ほろり。
・148話の「サイバネティック・ゾーン」は、亮からヨハン(ユベルじゃない)に対する「お前が勝者だ!」っていう、敗者からの承認。勝利の礎としての敗者のポジションの受け入れ。
・というか、「ユベルからヨハンの勝利を守った」ような。
・「レインボー・ダークで迎撃してやるぜ!お前の望みどおり、永遠の苦痛を味わえるだろうよ!」=あのまま攻撃すれば「ユベルの勝利」で、それを拒否して「ヨハンの勝利」に変えるための最後の一手みたいな。
・つまりあの時点で、「ヨハンの勝利は亮の手の中」にあって、その意味で「敗者はいても敗北は無かった」=「純粋なる勝利」だったりするんだろうか?
…ていうかそうすると、89話でも95話でも、亮の勝利は吹雪と翔の手の中で守られてて、つまりメダル踏みにじったのもそういうことなのかもね…あのデュエルの亮の勝利は吹雪が持ってるから、メダルになんか意味ないっていうか。亮の手の中に勝利は無いっていうか、ユベルと同じっていうか。
敗北から逃げてる亮には敗者から贈られる勝利は受け取れないって言うか。
ああ、一気に受けくさく(笑)
「勝者と敗者を分かつ決闘」
それまでの亮にとってデュエルはそうじゃなかった。亮の感覚の中で相手と自分は常に一体で、デュエルの決着ですらその一体感を消すことはできなかった。
「オレは自分に(負けた)」=「自分(≒エド)が勝った」って言いかけた亮に、エドは「運命に負けた」って言ったけど、これによってあのデュエルの勝利はエドによって「運命」っていう得体の知れないものに投げ与えられた。その「共有できない二つの勝利」が決定的にエドと亮を「勝者」と「敗者」に分けてしまった。
相手と自分は一体じゃない。相手から一体化を拒否されたとき、相手との一体感の根拠になってたリスペクトデュエルは亮の中で幻影と化した。その一体感は、ただの思い込みなんじゃないか?一体化している証拠はどこにもないじゃないか?
…ここまで!哲学的すぎて分からないよ。
その「一体感」というか、充実感、「満たされた感じ」がどこから来るか、それをもう一度与えてくれるのが「純粋なる勝利」だったんだと思うんですが。そしてそれは、敗者の位置からしか見えないものだったのは確かだと思います。勝者は勝利と一体化してて、その目に映るものは敗者と敗北しかない…ような?
亮が本を出すとしたら「勝利とは何か」ってタイトルだと思う\(^o^)/
読みたい(笑)
・57話はあくまで亮はエドには(リスペクトデュエルでは)絶対勝てなかった。
・亮が自分を見失ったのは、無意識に「絶対負ける」と分かって、それを認めたくなかったから。
・亮はエド戦で完全無欠に「自分から逃げた」し「敗北から逃げた」(=負けたくない)わけだったりする。
・65話は「負けたくない」が表に出てきた結果、アンチリスペクトで勝利。
・65話時点では「勝てればいい」だったのが、83話までの間に「勝つために強くなる(89)」に意識がちょっとシフトする。
・89話「リスペクトの精神を忘れていない」=相手の心理をトレースしながら闘ってる。
・けど闘い方には反映させてない。
・メダルを踏みにじるのは、敗北から逃げてる亮には相手が敗者になった瞬間相手の気持ちから逃げたくなるので、勝ち逃げしかできないからのような。
・「闇に囚われてない」ってことは、そういう自分も多分知ってる…のかなぁ?ちょっと分からない。
・つまり亮は、勝利は欲しいけど敗北は欲しくない。相手の敗北も欲しくない。
・95話の翔に向かっての「消えろ、敗者は!」も、そういうことかな?
・翔を倒したことで「サイバー・エンドを超える」目的は達成?
・「リスペクトデュエルの敗北を受け入れる」ことは翔に託した形。
・ということは脱線するけど、95話時点の翔には卒業デュエル時点の亮と十代並の実力はあると思われる。強くなったなぁ…ほろり。
・148話の「サイバネティック・ゾーン」は、亮からヨハン(ユベルじゃない)に対する「お前が勝者だ!」っていう、敗者からの承認。勝利の礎としての敗者のポジションの受け入れ。
・というか、「ユベルからヨハンの勝利を守った」ような。
・「レインボー・ダークで迎撃してやるぜ!お前の望みどおり、永遠の苦痛を味わえるだろうよ!」=あのまま攻撃すれば「ユベルの勝利」で、それを拒否して「ヨハンの勝利」に変えるための最後の一手みたいな。
・つまりあの時点で、「ヨハンの勝利は亮の手の中」にあって、その意味で「敗者はいても敗北は無かった」=「純粋なる勝利」だったりするんだろうか?
…ていうかそうすると、89話でも95話でも、亮の勝利は吹雪と翔の手の中で守られてて、つまりメダル踏みにじったのもそういうことなのかもね…あのデュエルの亮の勝利は吹雪が持ってるから、メダルになんか意味ないっていうか。亮の手の中に勝利は無いっていうか、ユベルと同じっていうか。
敗北から逃げてる亮には敗者から贈られる勝利は受け取れないって言うか。
ああ、一気に受けくさく(笑)
「勝者と敗者を分かつ決闘」
それまでの亮にとってデュエルはそうじゃなかった。亮の感覚の中で相手と自分は常に一体で、デュエルの決着ですらその一体感を消すことはできなかった。
「オレは自分に(負けた)」=「自分(≒エド)が勝った」って言いかけた亮に、エドは「運命に負けた」って言ったけど、これによってあのデュエルの勝利はエドによって「運命」っていう得体の知れないものに投げ与えられた。その「共有できない二つの勝利」が決定的にエドと亮を「勝者」と「敗者」に分けてしまった。
相手と自分は一体じゃない。相手から一体化を拒否されたとき、相手との一体感の根拠になってたリスペクトデュエルは亮の中で幻影と化した。その一体感は、ただの思い込みなんじゃないか?一体化している証拠はどこにもないじゃないか?
…ここまで!哲学的すぎて分からないよ。
その「一体感」というか、充実感、「満たされた感じ」がどこから来るか、それをもう一度与えてくれるのが「純粋なる勝利」だったんだと思うんですが。そしてそれは、敗者の位置からしか見えないものだったのは確かだと思います。勝者は勝利と一体化してて、その目に映るものは敗者と敗北しかない…ような?
亮が本を出すとしたら「勝利とは何か」ってタイトルだと思う\(^o^)/
読みたい(笑)
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