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2025/05/05 00:52 |
人間に成る
友人と会って話した勢いでつれづれなるままに!
いつも以上に意味不明注意(核爆)
十代→鍵っこ。
藤原→両親を亡くしてて、オネストが父代わり
亮→鮫島師範はどう見ても父親または祖父代わり
翔→亮が父代わり
明日香→吹雪が親代わり
万丈目→兄ズが父代わり
ヨハン→宝玉獣が家族代わり

吹雪さんの父代わりが見当たらない…?
GX(アカデミア)は、基本的に「親がいない世界」なんだと思われる。
隼人の早期退場は多分このせい。
…あれ、クロノス先生って、ひょっとして十代の父代わりか…?

「親がいない」っていうことを象徴的に解釈すると、「拠って立つ地盤がない」っていうことと、ルーツがない、「生まれていないから死ぬこともない」っていうのがあったりする。
もうちょっとストーリーに拠って言ったら、「親(代わり)」との「対立」が出てくる前のキャラクターは「子どもの自我」しか持ってなくて、「対立」によって「大人の自我」へと歩き始める、という構図になっていたりする。で、何らかの形で「再会」したときに「大人の自我」が確立する。
で、同時にそれは「命のルーツ」に触れることで、逆に「結末に死を持つ命で生きているということを受け入れる」ことを通して達成されていたりする、これが全面に出てるの亮と十代だけだけど。4期十代の「どっちかが消し飛ぶまでな!」は、多分これ。
まぁ、アニメでやるなら「自我」に重点が置かれるのは当然だろうな。「命」はどうしても実写のほうが迫力出るから。
そして「自我」に重点が置かれてるからこそ、「父」が圧倒的に多い。

という難しい解釈はおいといて、十代の「子どもから大人になるための旅」
が他のキャラだったらどの期間になるかってのを考えてみた。

◆亮の場合
vs鮫島(サイバー・エンド)~vsダークヨハン(サイバー・エンドとの再会)
一番わかりやすいテンプレート。
親代わりの鮫島師範と対決して、亮にとっての師範の象徴、「父の象徴」にあたる「サイバー・エンド」と一度決別、ここから出発。ダークヨハン戦で「サイバー・エンド」によって「自分自身の命の最高の輝き」を表現したことは、イコール「親から与えられた力」を完璧に「自分自身の力」にしたってことで、これが亮の「大人になった」証。

◆翔の場合
「お前がもう決めている」~vs猪爪
二番目にわかりやすいテンプレート。
95話で父代わりの亮と対決して、「自分とは異質なもの」として亮を再認識(調べたら、「リスペクト」の語源は「価値を再認識する」らしいです)したのが、翔が「子どもじゃなくなった」瞬間だったりする多分。そして、137話で亮の意志とは別に「自分が」決めていると告げられて、それを自覚したのが旅そのものの出発。vs猪爪にて、「自分と同じく成長する人間」として亮を再認識したのが翔が大人になった証。

で、ここで次を書こうとして、十代と明日香と吹雪がどうも混線してるってことに気づきました。

まず、吹雪が担っている役割のひとつに、GXの中でほぼ唯一の「母」(爆)というものがあったりします。誰に対してって、主に明日香と藤原(核爆)
vs明日香で「兄さんの望みどおりには動かない!」って宣言されたのを「強くなったね」と認めたこと。
vs藤原で「自分と正反対の意見を持つ藤原」に「それでも絆としてそばにいる」と決めたこと。
これが「母」の仕事、「存在の全肯定」です。まあ、今は流しといてください。

◆吹雪の場合
vs亮(と見せかけてダークネス)~vs十代(4期)
どうも吹雪に対しての「親の象徴」に当たるものは「ダークネス」みたいです。
その恐ろしさを認識した帰還が「子どもじゃなくなった」瞬間。それを操ろうとした89話が出発、完全にコントロールし切ったvs十代がゴール。
…そうすると…藤原が吹雪にとって「父の影」になっていた可能性が…出て…きたり…。
…吹雪の「藤原は孤高の天才」って認識は、翔の「お兄さんはカイザー」\(^o^)/
「親代わり」と「親の象徴」が別行動してるから亮や翔よりわかりにくい。
174話、吹雪が「父の影」を背負わせてしまっていた藤原が、実はむしろ自分が肯定してあげるべき「子ども」だったというわけで、藤原の存在肯定へと向かいます。
いや、子どもとか大人とかいう括りでは考えてないだろうけど。

◆明日香の場合
vs吹雪/ペアデュエル
まずは親代わりの吹雪にはっきりと「私は兄さんの望み通りには動かない!」と意思表示したのが…亮や翔では省略されている、母との決別なんじゃないかと思います。「母の肯定がなくても存在できる」という証明。
で、じゃあ明日香の旅の出発点はというと、どうも十代とのペアデュエルなんですねー!つまりあの時点では十代が明日香の父代わり。そりゃ告白できないな\(^o^)/
で、「大人にならなくちゃ」と「留学」決意したあたり、本編中では大人には成ってないんでしょうね、明日香。
「留学」つまり、「もうひとつの「アカデミア」」で、今度はちゃんと大人になって十代に告白しに行くに1票(笑)

◆藤原の場合
オネスト収納~オネスト再会
藤原の場合はちょっと複雑です。
理論上は「父性」そのものであるオネストとの決別~再会が藤原の「子どもから大人への旅」になるんですが、藤原は両親を早くに失ったせいで、その前段階としてあるべき「(母による)存在の肯定」が不完全です。
だから、174話で吹雪から「存在の全肯定」をしてもらい、176話でオネストに「おかえり」って言われて間接的に吹雪の手を離れたことによって、藤原はようやく実体を持つ「自我」を手に入れた=
まずは「子ども」になった。
この場合、一足飛びにここで「大人」になってるのかどうか、微妙すぎる…。
もう一回「オネスト」を使ったデッキを完成させたら、大人になったって言えるのかもしれません。

◆十代の場合
むしろ十代が一番厄介かもしれない。
ユベルって十代に対して「母性の象徴」だったりする。(吹雪が「ほぼ唯一」なのはユベルが精霊だから)
それが一回記憶隠蔽で水面下に以降。ある意味藤原と同じ状態。
違ったのは、歪んだのが十代(子ども)ではなくユベル(母性)のほうだったということ。
この違いはユベルのカード自体は「父からもらったもの」で、ユベル本人は「女性=母性」のほうが強いってことから来るのかもしれない。
そして、存在の肯定はユベルの代わりに「アカデミアの絆」が与えてくれていた。
だから、ちょっと本末転倒しますが、覇王の「ユベルと覇王の融合(開始)」が旅の出発、それを完全になじませた(?)のがゴールだったんだと思います。

◆ヨハンの場合
ヨハンが子どもから大人になるための旅=レインボードラゴンを探す旅。
で、この人も母からの存在肯定が変則的です。

将来的に十代と融合する「母性としてのユベル」の歪みを背負うと同時に、十代に守られる人。
つまりは
十代の母性に肯定されてる人\(^o^)/
うん、実は十代、母性も父性も子どもも大人も全部持ってるんだ。
アカデミアの絆に肯定されてると同時に、アカデミアの全部を肯定してもいるんだ。
無限って怖い☆
そのくせ、十代に「大人への道しるべ」を教えるのはヨハンだったりするわけですが。

万丈目は見てない回多すぎてよくわかりませんすみませんorz
それにしても「エミール」をちゃんと読みたくなるアニメですね!
子どもには母の手を離れた後に父が教育を行うべきだってルソーが言ってた\(^o^)/
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2009/07/06 18:58 | Comments(0) | 遊戯王DMGX

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